背後世界 理科 ニヒリズム
ニーチェの哲学界への貢献で一番デカいのは「背後世界」を拒否したことだが、背後世界は未だに至る所に蔓延っている。
ニーチェの矛先は主にプラトン主義、キリスト教、カントなど「目に見える物を超えたものこそ真理」だと説く者に向けられていたが、人間にはそのような傾向があるようで、未だに神は死んでいない。陰謀論は「見えない巨大組織」に真理を置くし、マルクス主義は「未来の共産主義」に真理を置くし(政治思想は全てそうだと思う)、自然主義もそうだと思う。ここでは自然主義を考えたい。
僕は、唯物論が正しいと思って生きてきた。理科の時間に物理を学んでから、世界は数式で表せるのだと思っていた。心は幻想で脳みそしか存在しない。光が網膜にあたって脳に刺激が伝わって物が見えると思っていた。
唯物論というのは、簡単に論駁できる。全てが「物」ならば、「全ては物である」という主張をする人やその主張を理解する人も「物」になる。物は「理解」という精神的な行為を行うことができない。
「物が脳になり心を創発する」という反論が考えられるが、そうだとすると「全ては物である」という主張が「脳の状態」に還元されることになる。脳の状態に正しいも正しくないもない。脳の状態Xが「全ては物である」という思考をしているとしても、脳の状態Xに正しいもクソもない。
全ては物で、数式で表せると思っていたけれど、フッサールの科学批判を読んで目が覚めた。科学哲学には疎いので「科学哲学の冒険」という入門書を読んでいるのだが、科学の基礎づけって難しそうだ。
なんで世界が物でできていると思っていたんだろう?物ってなんだろう?僕は「物」を見たことがない。原子も素粒子も見たことがない。机やPCや身体は「観念」のほうが近いだろう。「われらは夢と同じ糸で織られているのだ」
僕がニヒリズムに陥っていたのはハードな物理学主義のせいなのだが、学校教育のせいでそう思っていた。今思うとバカバカしいので、普通に洗脳だと思う。なんでそんな変な教育をするんだろう?損した