なぜ天使なのか 詩 アニメ Vtuver
「天使」という言葉をよく見かける。僕の世代だと、エンジェルビーツというアニメを見たオタクのミームに「天使ちゃんマジ天使」というのがある。近い所だと「NEEDY GIRL OVER DOSE」の主人公は天使だ。インターネット・エンジェル。
なぜ天使なのか。僕は詩を書いていても、よく天使という言葉を使う。「天使」に猛烈に魅かれる人は多いんじゃないだろうか。最近ではサブカル系の女子が「天使界隈」というファッションをしているらしい。
天使というのは「中間」である。人間と神との中間にいる。ムハンマドも初めは、天使からお前は預言者だと告げられる。「絶対者(神)」と「有限者(人間)」の媒介が天使である。
仏教で言えば「菩薩」にあたる。菩薩という言葉は元々は仏になるために修行をしている人のことを指したが、後年になると「観音菩薩」や「勢至菩薩」のような高位の菩薩が崇められるようになり、こっちの使い方のほうが優位になる。
王は余りにも尊いために、間に家臣を置く。平民は王と近づくのは恐ろしいので、家臣を中間に置く。
「絶対者」⇔「媒介者」⇔「人間」というのは人間の自然的な心理なんじゃないだろうか。歴史を見ても、仏への信仰は勿論あるが、観音菩薩や地蔵菩薩への信仰も篤い。「絶対者」というのは近寄りがたいので、中間に「聖かつ俗なるもの」を置く。
Vtuverは天使の典型であると思うが「仮想性」「偶像性」「エロティシズム」が備わっているからだと思う。現代は「虚無」⇔「媒介者」⇔「人間」という心理構造になっており、媒介者は仮想的で魅力的なものが良い。昔は「絵」や「像」がその役割を果たしていたが、今は「液晶画面」がその役割を果たしている。
「尊い」というネットミームもあるが、オタクは聖を感じていると思われる。自分の心を振り返っても、尊いと感じる瞬間はある。「聖地」という言葉もある。
「太陽と死は直視できない」というロシュフコーの箴言があるが、死=虚無=神を直視しないために、天使が要請されているんじゃないだろうか。アニメーションや漫画というものは死=神を覆い隠すベールの役割を果たしていて、アニメキャラというのは「彼岸」と「此岸」を仲介する媒介者=天使だ。
観音信仰をしている時代から、人間は変わっていないのだと思う。仮想的で魅力的な媒介物はいつの時代にも必要で、現代だとそれが「推し」だったり「Vtuber」だったり「アニメキャラ」だったりする。「眼に見える実在しないもの」と言ってもいいかもしれない。
現代を特徴づける「虚無主義」「快楽主義」「西洋崇拝」「インターネット社会」「オタク文化」から必然的に「天使」の表象が生まれる。天使とは死を隠すベールだ。
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