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【鑑録】討論
『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』をamazonPRIMEで観ました。
1980年代半ばに河合塾に通っていた頃。
とある塾講師、初回の講義にて「全共闘による安田講堂封鎖の為。受験機会を逸して東京大学(二度目の)受験はできず、(やむなく)一橋に入ったというのがワタシのネタです」といって授業を始めた。
国を憂う…というか、自身の存在するこの星の、いやこの国の。「今(1960年代後半)という時代に存在するものの責任として闘うのだ」と。それが盛り上がったのが1969年を端境とする前後三年間ぐらい?
当時(昭和45年)20代だったヒト。20代後半だったヒト。戦前・戦中・戦後生まれのヒトの間には、カレらのいう「革命」や「恭順・日和見」への戦いには見て見ぬフリをして過ごした人も在れば。そうしたことの中身にすら興味と関心を持てないまま生活に追われたヒトも居て。
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ウチ(の親)は断然、興味と関心を持てないまま…生活に追われて「早く終わっちまえ」と思ってたクチ。その子供は当然同じく、全共闘のなんたるかなんぞに興味も関心も抱けないまま成長し。
出来の悪さが応報して、一橋大学に仕方なく入った予備校講師の授業を聞く世代へと帰結していきます。
そんなジブンの辿ってきた時空と較べつつ。当時の世代当事者が「まつりのあと」どういう片付け方をしたのか、本作中でインタビューされている箇所。
『敗北前提で推し進められる戦いなら、戦い以降のことも当然視野に入れていなければならないでしょうね』的な言葉。
ばつの悪い思いを抱きながら…世間並みな生活を選ばざるを得なかった、革命闘士のミナサンが収めた年金や保険料で、現在の体制がホボホボ維持されているのは、なんともコレ。皮肉なハナシだと敬意を抱いて思うわけです。
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あと、内田樹センセイの。
『戦前成し遂げることが出来なかったことを戦後民主主義の中で実現する為への戦いという意味で。天皇制に関する事柄を省けば、彼ら(全共闘・楯の会と三島由紀夫的な立場の方)は共闘することができる、と。三島は信じて説得しようとしていた』ところ。
討論は我々のイメージするハリウッド的なアクション要素はもちろんなく。淡々と、時に談笑をはらみつつ進んでいきます。強いていえば。業を煮やした観覧学生がヤジを飛ばして、後の演劇家にして当時の全学連ブレーン「芥 正彦」氏に段上まで呼び出される所。
それとて、一触即発…には到底ほど遠く。そこそこで、会話して降壇。まぁ、そんなもんですよ。殴り合いのための会じゃないからね。
そうそう、芥氏。
子連れでの討論参加も外連味があって良かったですが、本編最高のコメント。70代となったイマの芥氏に「一体、(全学連や三島氏は)ナニと闘っていたんでしょうか?」の問いに。
芥:
『あやふやで卑猥な(戦後民主主義の)日本国だな』
やー…アンタ最高だ。
アレから50年。あやふやでイヤラシイ日本国。ずーっと続いてんですよ、芥師匠。(笑)
「真に日本的な、文明に駆逐されない文化をもつ、だれもが幸せで公平な社会…の実現」ねぇ…。「そんなに熱くなれる時代がこの国にもあったのか」という目線で観る、50年後のワレワレでございます。
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もっと家族のことや職場のこと、世間のことや国家のこと。
今もまた孔子先生はじめとする儒家の説く『大学』(を、わが国風に変換した発想)にあやかって、考えられないとイケナイ時代なのかも…。
そんな鑑賞後でございます。(しんみり)