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【読録】終わりがカンジン

内澤旬子女史著の本作『ストーカーとの700日戦争』。読んでるうちに、この人。随分前にFM番組『SUNTORY SATURDAY WAITING BAR AVANTI』のpodcastで話してたことあったんじゃなかろうかと思った。

でも。検索しても出てこないので、ネットの海に飲み込まれちゃったか…勘違いだったのかもしれません。(笑)

筆者。東京での生活と、離婚後の著作活動から一転。香川県に移住して、いわゆるジビエ(鹿とか猪とか)専門の食肉販売センター設立と地方生活のルポルタージュ手法によるドキュメンタリー著作を行う方です。

そのかたわら、プライベートなお付き合いのあった男性とのトラブルを克明にとりあげたのが本作ということになります。

現今。
ネットやアプリを通じて知り合う人々とのお付き合いが、ほぼほぼ珍しくもなくなったご時世にて。離婚バツイチ、日々の生活にある隙間で(実作業・著作業と、寂しさを感じる時間の塩梅で)取材一環で関わっていたマッチングサイトでのやりとりが、恋愛なるものに発展。

8ヵ月ばかりのお付き合いで。お互いに相容れないところを感じ。別れる場合も…これまたある。問題なのは相手の素性にもよるけど、別れ方ということなんだろーねぇ。

内澤センセイ。別れ際の何の気無しに放った言葉が相手の癇に障り。以降、粘着質につきまとわれる羽目になるのですが…というところから始まって。ヤリもやったり…ヤラレもやられたり。

内澤側として最初は民事で、二度目は刑事告発で裁判を争い、判決による加害者収監へ…と。行き着くところまで行った感はあるものの。被ストーカー側、つまり被害者としては心落ち着く暇もないことを指摘されます。

出所後、一応加害者は社会的に更生適格者として世間に出てくるわけですよ。

その後の展開について。ストーカーそのものの性質素性には、刑務所での受刑期間はなんらの性格変化が起こるわけでもなく。告発者をつけ狙う確率(つまり再犯率)は高く。いやむしろ、収監された時以上になってる場合もある。

いつまでも加害者は加害者であり続け、被害者は(行動如何によりますが)被害者であり続けるわけです。

筆者内澤センセイはストーカーとの調整(それを病として、治癒させる道筋をつけてくれる)専門のNPO機関•主宰者をたずね。加害者二度目の裁判から、判決•収監に至るまでの間に接触してもらいます。

ストーカーは「病」であるという認識。これを加害者が認めて、加療に心掛けない限りストーカーは治らないし止まらない。という結論に達するわけですわ。(予想通りというか…当該本件の加害者、そうした結論<治癒受容>には至りませんでした)

さて。
Amazonの書評ではどのようなインプレッションが上がっているかといえば…。「途中から、筆者の押し付けがましい『被害者意識』と。正義はこっち側にあると言わんばかりの筆致に辟易としました」的なもの。

(大半がこちらでしたけど)あるいは、ストーカー行為への恐怖を思えば…筆者の到達した加害者あて治癒機関の充実。また、刑期終了如何を問わず。警察•民間機構による監視体制の充実を願います…というもの迄。賛否は両論でした。

ちょっと、驚いたのは。2016年の法改正まではLINEやSNSの通信記録、ストーカー規制法の対象にはならなかったそうです。あくまで電子メールや電話等によるダイレクトな接触•送信記録が対象だったそうです。(現在は規制法の勘案対象となっております)

現実の恋愛や仕事上での接触・人付き合いが面倒くさくて、SNSに人との繋がりを求めるムキが増えている中。それらの付き合いは、文字上でのやりとりから、具体的な通話だけ…というものになるので誤解を生みやすいわけで。

終わり方も、細心の注意をはらわなければ…こじれるわけですよ。終わり方が全て、といっても過言ではないぐらい。

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「これは、あくまでワタクシの体験ですが」という形で綴られるストーカー騒動の顛末。勉強になりました。(合掌)

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