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【鑑録】太陽の子

日本でも研究開発されていた核分裂による新型爆弾開発研究を主題に、開発科学者や市井の人を描く今風作品。WOWOWでの録画を見ました。

日本版の原子爆弾開発。
当初は海軍航空隊からの提唱が戦局の悪化によって、陸軍主導の研究に集約されるものの、全国各地への空襲から研究施設も戦火被災を受け…研究どころではなくなっていきます。

米国では1941年前後から研究成果を秘匿事項としており。日本側の研究者達は、「我々がどこまで進んでいて、どれだけ遅れているのか」が、わからぬまま。1945年のその日を迎えることとなるんですが。

練習艦『かしま』です

被災した広島の町を、共に研究を手伝ってくれる学生と訪れる、京都大学の理学部•原子物理学研究チーム荒勝文策教授一行。そして研究学生である主人公とその家族は果たして…というオハナシ。

「この世界の片隅に」以降。
戦争をめぐる映像作品では、戦火被災状況よりも戦時下における生活を通して、常ならざるも…常なる様子に焦点を当て。そこを見る人に、怒りや悲しみを感じさせようという傾向にありますよね。

怒りや悲しみ、とも少し違うか。

平常時でも、自分でなんとかできないことと嫌々でも共生していかざるを得ないシチュエーションはあって。「それが、戦時下だと、こんな感じになってたんですよ」という切り口。

戦前生まれの人が70代後半以上となり。まして、戦時下に大人として過ごした人々は年々少なくなる中で。同時体験の悲しさや苦しさを嘆き悲しみながらの平和希求というスタンスは、少しづつ変わりつつあるのかもしれないなぁ…と、いうことです。

敷設艦『むろと』(割と…レアだそうです)

大江健三郎が広島まで足を運んで、左寄りの主義や政策からの切り口で求める、平和へのピントはずれな希求と意思表示を見切り。あくまで、個人のゲンバクへの受け止め方に主眼を置いて著された「ヒロシマノート」。

長年、大江センセイが見切りをつけられた、被害者意識な主義や政策の切り口で「平和反核」は取り上げられてきたんですが。(センセイご自身は、歴としたヒダリの方だと思いますけど)

本作はじめ、最近の戦争を描く傾向として。

「いやいや、日本も日本で原爆を真剣に作ろうとしてたし…」という事実も含め。戦争が個々人に求める、理不尽で窮屈な現実から平和への尊さを考えてみたら…どーでしょう?的なね。

主演「誰も知らない」の柳楽優弥。弟役の三浦春馬。爾後の自死という出演俳優の去就についても話題になった本作。健気な幼馴染役、有村架純の助演も含め。時代考証でつつかれはしても、ちゃんとした映画作品になっておりました。

この。
「なっておりました」の言わんとするところは、映像で描きたいと思ったことが見る人に伝わる(伝わりやすい)内容になっていた…というだけのハナシです。

終始漂うのは、NHKのドラマとして見るなら良くても、劇場版としてはいかがなものか感。ヒトはNHKドラマ見るみたいな心持で映画を見ようとはしてない、ということが伝わってまいります。

まぁ、内容が説明臭くなるのは、身に馴染みのない原子物理学ですからねぇ。。ひるがえって、そこに携わるモノとしての(本来なら健康な男子として戦地に赴くべき、という)葛藤とも憐憫ともつかぬ説教くさい感情表現は、うまくできておりました。

あと。時間の流れとしては、えらくハナシがゆっくりなので。寝ちゃう…もとい、重たく感じるヒトは多いでしょうな。

おだやかにありたいものです。
呉…烏小島よりお届け致しました。

こーいう映画をカップルで見る人は、鑑賞対象に選んだカレシかカノジョが、無類の「國村隼」好きとか。なにか、そーいう理由があってのことと思ってあげましょう。

見終わって入ったカフェで、どういう感想が繰り広げられるのか、気になるところではあります。時節柄、戦争関連の作品はとかくアノ国とソノ国の話になるんでしょうかね。。

近々、巷で大絶賛の戦闘機乗りパイロットさんの映画とは異なり。間違っても「もう一度映画館に見に行きたいです…」はございません。スカッと、何かが解決するわけでもない本作。

結論。録画鑑賞で十分かと思います。

長文御披見、ありがとうございました。(合掌)


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