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■本日のコラムの音声ver


■活動の経過報告

昨日は公立の学校に行ったことすらないカンボジア🇰🇭人の8歳の女の子の家に行ってきましたが最初から最後まで泣いてました。難しいところが出てきては泣いて、お姉ちゃんになんか言われては泣いて。その繰り返しです。流石に泣きすぎやから怒った方がいいかなー?と思ってたんですが、彼女は精一杯かもしれないので調子乗った態度を取らない限りは怒らないことにしました。

難しい文字が出てきた時は、気分を変えて数字を覚えたりすると態度がめちゃ変わるんですよね、集中するようになります。僕も英語の勉強しててリスニングの勉強はほんまに辛いからそれと同じって考えたら彼女の辛さがわかるんです。「 無理なものは無理、集中できないものはできない 」なんです。途中泣きながらでも頑張ろうとする姿を見れたのでまぁいいかってことで。笑

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■無縁社会を修復する新たなる夢

昨晩僕はこんなツイートをしました。

他にも美輪明宏さんの名言で

『 辛い思いはすべてプラスになる。苦しかったこと、悲しかったことが、いつか必ず花開く時が来る 』って言葉があるけど虐待受けてる子がこの言葉を見ても信じられないと思うんです。「 いつか必ず花が開く時が来る 」とか当事者が言われたら「 どんだけ投げやりで適当やねん 」って絶対になると思う。

僕は頑張れない人に名言集の言葉を自分の経験とかけわせて頑張ってツイート作ろうと試みたんですが、作れなかったです。精神的に病んでる人や頑張れない人にとってネット上の言葉だけで励ますのって至難の業やなって思いました。リアルで会って横について話をうんうんと頷くことが一番効果があってそれしか方法ないんじゃないの?って今のところそう思います。

そこで僕は数日前からカフェで考えてました。「 今俺が支援してるカンボジア🇰🇭の8歳の女の子の集落やベトナム🇻🇳人の子どもの集落みたいな場所を日本で作ったら今の日本社会ってめちゃ良くなるよなー 」と。

今日も児童福祉施設や少年院に関する勉強をしてたんですが、人間って一度精神を病んでしまうとそこから這い上がるのが超至難であることがよくわかるんです。

例えば親から虐待やネグレクトされたり、病気を持ってる子どもが「 サッカー選手になりたい、野球選手になりたい、歌手になりたい 」って夢を持ってたとしたらこんなこと本当に言いたくないけど正直叶えるのは無理だと勉強してて思う。

つまり、精神の崩壊は人生の崩壊です。じゃあなんで精神が崩壊するのかっていうと今の日本社会が「 頑張ろう 」って思える社会じゃない、「 助けて 」と言えない社会、無縁社会だからです。

これを解決するヒントがまさに今僕が支援してる現場に、集落にあるわけです。人間は「 経済 」「 精神 」の両方が豊かになればより幸せになれると僕は思ってます。僕が支援してる集落で暮らしてる人たちはみんなお金持ってないです。

でも男の人たちはみんなで集まって音楽かけて安いビール飲んだり、焼き鳥みたいなものをみんなで食べたりとにかく楽しそうなんです。すなわち、経済は満たされてないけど精神は満たされてます。お金はないけど幸せなんです。

一方で日本はどうでしょうか?お金がある人もない人もそこそこな人もいると思うけど、果たしてみんなが精神的に富んでるのかとなれば怪しいところです。なぜなら今の日本は無縁社会だから。縦の人間関係しかなく横の繋がりが全然ないからです。

それにお金だけ追って経済的にだけ満たされた人は虚しくなる、つまらなくなるってことを僕は何度か聞いたことがあるのですが、それは精神的に富んでないからそうなると思うんです。

お金持ちのうちの親父も言ってます。「 お金はそこそこあればいい、そんな沢山あっても使いきれないし生活は変わらない、飲み食いくらいにしか使えない。贅沢なんかすぐ飽きる 」と。

つまりお金はあっても必ずしも幸せになれるのかとなればそうじゃないんです。これは僕がボンボン育ちで日本にいた時は少しだけお金があった僕が身を持って経験してきてます。

ここまで何度も言ってきてるのですが、僕は日本にいた時より今はお金全然持ってないけど今の方が幸せを感じるんです。なぜなら、日本にいた時より精神的に富んでるからです。

カンボジア🇰🇭移住してきて確信してるのは人間が幸せに生きるためには精神的に富むってことが欠かせないんです。お金よりも大事なんです。最悪お金はなくても僕が行ってる集落の人らみたいに横の繋がりがあったら幸せになれるんです。それを今の日本人ってみんな全然わかってないんです。みんなお金、名誉、出世など自己欲求のことばっかり考えてるんです。

結果的に昔の村社会のような横の関係が完全になくなって縦になり、自己欲求を満たすために、自己実現のために「 俺はお前にこれをする、で、お前は俺に何をする? 」という交換条件を多くの人は常に求めるんです。交換が終わったら「 はいさようなら 」の極めて薄い人間関係しかない、無縁社会になってるんです。

人と無縁になった結果、仕事のストレスや日々の悩みを発散することもできない、話を聞いてくれる人、わかってくれる人がいない。交換条件なだけに差し出せるものがない立場の弱い人は「 助けて 」と気楽に言えない。人の輪の中に入っていくことができない。すると鬱憤が自分の中に全部溜まる。最悪、精神的に病む。溜まった鬱憤を言うこと聞かない、思い通りに動いてくれない子どもに晴らすようになる。そして子どもの精神、人生、日本の未来も壊れる。

こんな感じで悪循環になってるのが今の日本社会です。だから「 じゃあ俺が施設や場所を作ればいい 」と考えていたわけです。てか知ってしまった以上は「 俺がやらなあかんな 」と思ってます。

今はまだ思いついたところなので引き続き途上国で活動を続けますが、縁がある途上国には今の縁がない日本社会が良くなるヒントが沢山あります。それを引き続き日々の勉強と活動の経験を生かして自分にストックしておきます。

コロナが落ち着いたら東南アジア、南アジア様々な国に行ってきて日本に足せるものがないか探ろうとも思ってます。今貧困や自分ではどうすることもできないことで悩んでる日本人が救われる方法は縁の修復から精神の安定と向上であると途上国に住んでる僕は確信してます。じゃあそれができる機会、場所を作ればいいんです。

機会、場所を作ったらシンママをできるだけ雇って低賃金、長時間働かされてるシンママになるべく可処分時間を確保できるよう貢献する。シンママに時間確保ができたら余裕ができて精神が安定し子どもに時間割けるので虐待、ネグレクトなどの防止、そして子どもの明るい未来に貢献できる。

今日は夢をただ語るだけとなったし、考えついたところなので全然ふわふわしてる。それに言うは易き、行うは難し。でも実現します。どんどんやるべきことが明確になってきたので面白くなってきました。こうやって日々コラム書いて勉強して活動できることに感謝して引き続き頑張っていきます!


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