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自由には責任が伴うという一見それっぽいストーリー。それしんどくない?
自由には責任が伴うらしい。有名な人がそういったんだとか。
大人になったら責任が生じるってのも、似たようなはなし。
子供の頃はなにかしでかしても、親が責任を肩代わわりする。そのかわり、親は子どもに制限をかけられる。でも大人になったら親の制限はなくなり、自由になる。そしたら責任はあなたが負うことになる。
自由になる。だから責任が生じるって話だ。
説得力はあるよ。でも…あんまり好きじゃないんだよなぁ。
今回はこの、自由と責任の話を少し深ぼってみたい。
「自由には責任が伴う。」しんどくない?
どうしてこれが好きじゃないか。
だってこれ、足枷じゃん。
さっきの子どもから大人になったときに責任が生じるって話もそう。子どもが大人になりかけのときなんかにさ。
親はもう制限しない。あなたは自由。だからこれから自分で自分のことを制限するか、好きにするなら結果どうなってもあなたのせいだからね。
ってメッセージなわけじゃん?なんかなぁ。やな感じ。
要するに、
自由に責任が伴う=お前が選んだんだからその結果はお前のせい
ってこと。
えらい堅っ苦しい不自由な自由やな。自由ってこんなんか?
ってことでこのお前が選んだんだからその結果はお前のせい理論を紐解いていく。
"責任"という名の恐怖のトラップカード
あなたの前に何本かの道がある。どの道を選ぶか?それはあなたの自由。
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あなたはこの道から一本を選択する。道の先に何があるかは分からない。でも、この自由の名のもとに選択をした時点で、あなたは責任を帯びる。
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それは、トラップカードみたいなもの。まだ裏返しのままだけど...。
そして自らその道を選びその道を進んだら、いいことがあった。なんか宝物があったとしよう。
これは、あなたが数ある道から自分で選択した結果だ。それはあなたの手柄になる。
でもさ、結果悪いことが起こったとしうよ。
すると…トラップカード"責任"が発動!!
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その悪いことは、あなたが自由の名のもとに選択した結果だ。あなたは自由で、他の道を選択することもできた。な・の・に、その道を選んだ。だからその結果の責任はあなたにある。
これが、お前が選んだんだからお前のせいだ理論。
きっつーーーーぃ!!!!道の先に何があるか分からなかったのに!!!!
でも…ってことはよ?
選べる道が一本しかないとき、責任は生じない
ってこと。
だって選んでないもん。無理やりその道に連れて行かれたり、道が一本しかなくて、結果はお前のせいだとか言われても、そんな知らんわってなる。
裁判とかでもさ。それしかやりようがなかったってなったら罪じゃないってことになったりするじゃん。正当防衛とかさ。
だから、"自由"には責任が伴うじゃなくて、正確には、
"選択の自由"には責任が伴う
ってことになる。
お前が選んだんだからその結果はお前のせいだ理論は、道を自由に選ぶことができるっていう状況が前提になってる。
そしてここからが本題。
"選択の自由"と"自由"は別物
なんよ。
"選択の自由"ってのは選択肢が複数あって自由に選ぶことができるってこと。
飯食いに行って、メニューが牛丼しかないよりも牛丼も豚丼もカツ丼もあるほうが選択肢が多い。つまり選択の自由がある。
一方、自由に状況は関係ない。自由は人の有り様だ。
自由ってのは、束縛されてないとか、自分の心の感じたままに行動できるとか、のびのびしているとか、その人の状態、有り様をさしてる。
つまり、選択の自由と自由は全くの別物なんよ。
とすれば当然、
自由に責任は伴わない
ぼくらがただのびのびとしている。そこになんの責任が伴うというんだろう。
自由に責任は伴わない。責任なんてものに束縛された堅っ苦しい状態を自由とは呼ばない。
でも、一般的に、「"選択の自由"には責任が伴う。」なんて言われ方はしないじゃん?
これは大問題だってぼくは思う。
自由=選択の自由と誤認することでおこる悲劇
自由であることは、ぼくらが生き生きと生きるうえで欠かせない。
でもその自由になんとなくネガティブなイメージがつく。それは、自由と責任がセットで語られるからじゃないかな。”自由”と”選択の自由”がごっちゃごちゃになっているからなんじゃないかと思ってる。
ぼくらは責任なんてものに縛られず、自由であっていい。
そもそも選択の自由なんてのもおかしな話なんよ。それはまた別の機会に。
終わりに
このマガジンは、こどもたちやぼくたち大人がのびのびと生きるためにどうしたらいいのかを考えたその記録です。
子育て中の人に限らず、多くの人の役に立つものになったらと願っています。
畑のことや植物のこと、移住生活のことなどいろいろ書いてます。もし、こういう生き方とか子育とか、こういう記事だけ読みたいという人はぜひ、マガジンのフォローお願いします!