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根拠のない自信なんてない。だってぼくらは生きているんだから。

仕事を辞めるとか、なにか挑戦したいとか、新しいことはじめたいとか。

なにか新しい一歩を踏み出すのに自信がない。自分がやりたいって方向に踏み出したいけど、自分を信じることができない。

自分を信じるための拠り所が、根拠が欲しい。

「自信に根拠なんていらないよ。」
「とりあえずやってみたらいいじゃん!」

そういうけどさ。怖いし不安だし心配じゃない?もっともっと石橋を叩いて、計画を立てないと...。

そんな人へ。


自信が欲しい。そのための根拠が欲しい。

自分を信じるための根拠が欲しい。でも、自慢できるようなもや特別な才能やなんてない。

自信に根拠なんていらない?

それが言えるのはすでに自分を信じられている人だけだよ。

じゃぁ、どうしたらいいの?

今ここに生きているということ。それが自分を信じる根拠になる。

…どゆこと?

一旦、ちょっとだけ聞いてほしい。

今ここにぼくらが生きているということのとんでもなさ

今ここに生きていること。それはほんとにすごいことなんよ。とんでもない道のりの末にあること。

遠い遠い昔、ぼくらはまじで流れ星で、流れ星が集まって地球ができて、月ができて、そっからアメーバみたいなのが何の拍子にか誕生して、そっからまたなんの拍子にかもっと複雑で多様な生物が生まれたて…。

氷河期やら隕石やら噴火やら、幾度の絶滅の危機を乗り越え、恐竜が歩きまわるようなところも生き延び、マンモスを狩って、寒い冬を耐え、疫病や戦、飢餓でたくさんの人が死んでいく中、生き延び繋がって、今のぼくらがある。

今生きている人の中で、

「おれはちがう!そうじゃない!」

って人はいないはず。

みんながみんな、とんでもないんよ。

このとんでもなさは自信につながる?

「だからなに?それはすごいことではあるけれど、自分のことじゃない。自信にはならない!」

って思うかもしれない。

恐竜に追いかけられた記憶もないし、マンモスを狩った記憶も無い。自分のご先祖様がそうだっとして、それに自信を持つってのはピンとこないかもしれない。

でもさ、想像してみてほしい。

ご先祖さんはどうやって生き残ってきた??


何度もあった絶滅の危機を、過酷な日々を、何十億年もの間どうやって生き延びてきたんだろう。

綿密な計画を立てて?石橋を叩いて叩いて叩きまくって?

ちがうと思う。

噴火とか隕石とかわけもわからん異常事態に計画もくそもない。台風や地震や洪水、干ばつだってある。普段の日々もそれはそれは異常なことだらけだっただろう。

そんな中を生き残り、今のぼくらがあるのは、そのとんでもない環境にその時々で対応してきたから。

どうやって??

それは、その時々で、自分の感覚に従って行動してきたからに他ならない。

何十億年と、ご先祖さんは自分の感覚を頼りに生き延びてきた。

「やばい!食べられる!こっちだ!」
「なんとなくここはいい感じ。」
「ここは危なそうだなぁ。ざわざわする。」
「これは食べられるんじゃないか?」

こうやって、自分の感覚を頼りに生き延びてきたんだ。そこにはきっと、圧倒的な運もあったはず。

そして大事なのは、その感覚がぼくたちにも備わっているってこと。


自分の感覚を信じる根拠

確かに、恐竜に追いかけられた記憶もないし、マンモスを狩った記憶も無い。でも、それでも、その時々を生き延びた感覚は、ぼくらにも備わっている。

これは、信じるに足るんじゃないかな?

自分が、やりたい、挑戦したい、なんかいい感じ、なんとなく嫌だ、辞めたい、離れたいっていうその感覚を信じる根拠になるんじゃないかな。

確かに、変化することは怖いよ。今とは違う、分からない状態に置かれるわけだから。

でもご先祖さんはそういうのに対応して、対応したから生き延びてきた。今ぼくらがここに生きてるって事実は、そのとんでもなさは、ぼくらに勇気を与えてくれるって思うんだ。

自分の感覚を頼りに生きるっていう勇気を。

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