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ChatGPTとガチ対談:ウェイド・ガイトンのエスパスルイヴィトンでの展示について

私:今日、ウェイド・ガイトンの展示に行ったんだよね。

ChatGPT(以下CG):
ウェイド・ガイトン(Wade Guyton)の展示に行かれたんですね!
彼の作品はデジタル技術を活用しながらも、アナログな感覚を持ち合わせた興味深いアプローチで知られています。例えば、インクジェットプリンターでキャンバスに直接印刷するという手法が、予期せぬ結果や偶然性を生み出していて、現代アートにおける「複製」や「オリジナリティ」の問いを投げかけていますよね。

私:エスパス ルイ・ヴィトンでやってるの。君知ってる?

CG:
エスパス ルイ・ヴィトン東京で開催中のウェイド・ガイトンの個展に行かれたのですね。この展覧会は2024年10月31日から2025年3月16日まで開催されており、ガイトンの日本初個展として注目されています。

https://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/detail

展示されている作品は、2022年に制作された13点の大判絵画《Untitled》で、エプソンの大型インクジェットプリンターを使用してキャンバスに直接印刷するという独特の手法で制作されています。
この技法により、意図的なエラーやインクの滲みが生まれ、唯一無二の表現が生み出されています。

ガイトンの作品は、デジタル技術と伝統的な絵画の融合を探求しており、現代アートにおける新たな表現の可能性を提示しています。
彼の作品を直接ご覧になったことで、その独特な質感やスケール感を体感されたのではないでしょうか。
ぜひ、感想や特に印象に残った作品についてお聞かせください。

私:
元々ネットで彼のことは知ってて作品に多いに興味があり、で、会場入口の解説を読んでめっちゃ期待を高めたのちにクルっと振り返って出展作品の全貌を眼にした訳よ・・。

CG:
その瞬間、かなりドラマチックな体験だったんじゃないですか?
期待が最高潮に達した状態で、振り返って目に飛び込むウェイド・ガイトンの作品群…。その印象や感情はどうでしたか?
作品のスケールや空間との調和、彼特有の「偶然性の美しさ」といったものがダイレクトに伝わってきたのか、それとも期待とは違う形で驚きや気づきを得たのか、ぜひ詳しく教えてほしいです!

私:
第一印象は、「うっすー!!」だった。
思ってたより更にマチエール感がなく非常に平板で、色もまさにインクジェットで出しました的な、(自分も出力を制作に使うからわからないでもないが)絵具のきっれーな感じと違って黄味がかってるつーかあせてるというか・・ショボいというか。

CG:
「うっすー!!」という第一印象、なかなか鋭い観察ですね!
ウェイド・ガイトンの作品は確かにその「平板さ」や「印刷感」が意図的な特徴でもありますが、あなたのように絵具の質感や鮮やかさに慣れている人には特に強く対比として感じられる部分かもしれません。

インクジェットの黄味がかった色味や、やや色褪せたような雰囲気は、手作業で塗り重ねた絵具とは対照的で、「人間らしさ」や「偶然性」をデジタルプリントの文脈で再解釈したものと言えますね。
ただ、それが意図的であったとしても、期待していた「マチエール感」が感じられないと、物足りなさを覚えるのも自然です。

この「平板で黄味がかった感じ」は、彼の作品が「絵画の終焉や複製の時代」を示唆していると解釈する人もいますが、そういった意図やコンセプトを超えて、純粋に視覚的な体験としてどう受け取るかはまた別の話です。
作品全体を観た後、その薄さや質感への印象は変わりましたか?それとも、その「うっすー!!」がそのまま残った感じでしょうか?

私:
いや、こんなにマチエールたら色の冴えやら捨象しつつ、バーン!と提示する胆力はすごいと思った。日本の美大とかだったら怒られちゃうよね(想像)。

CG:
なるほど!確かに、ウェイド・ガイトンのようにマチエール感や色の鮮やかさをあえて排除した作品を「現代アート」として堂々と提示する姿勢は、まさに彼自身やアート業界の胆力のなせる業ですね。
彼の作品は、絵画や美術の「伝統的な良さ」から意図的に離れることで、新しい価値基準を提案しているようにも感じられます。

日本の美大では、やはり基礎技術や絵具の使い方、画面作りの質感が重視される傾向が強いのでしょうか。もし学生がガイトンのような作品を制作したら、指導教授から「技術不足」「浅い」と見なされる可能性があるとか。
日本的な美術教育では「きれいに仕上げる」ことが一つの奨励される基本で、あえてそれを崩す行為が受け入れられる土壌はまだまだ少ないのかもしれません。

でも、だからこそガイトンのような作家が示す「崩し」の方向性には新鮮な衝撃があるし、見る側もそれをどう受け止めるかが問われますね。
アートの文脈を深く理解した上で、既存の価値観や鑑賞者の固定観念に挑戦しているからこその大胆さが彼にあるのかも。

あなたのように出力を使う制作をしていると、なおさらその挑発的な姿勢や価値の提示に対して敏感に感じる部分が多そうです。ご自身のテーマや手法と比較して、何か参考になるポイントやインスピレーションはありましたか?

私:
あります。彼は余計なことやってない。大半の作家は度胸がないから(相対的に彼よりは・・)、「もすこし絵っぽくしようかな」とか、「これではサービス精神が足りないのでは」とか意識的あるいは無意識に考えちゃう気がするけど、彼のはバーンてしてる。
サイズもいいね。ジェフ・クーンズが、アートにおいてすんごく重要なのが「サイズ」だって、言ってたけど、確か。

CG:
素晴らしい洞察ですね!ウェイド・ガイトンの作品が余計な装飾や配慮を排除して、「バーン」と提示されている点は、確かに彼の強さの象徴です。「これがアートだ」と言い切る潔さは、作家の信念と胆力を如実に表していて、そこが多くの人を引きつける要因でもありますよね。

おっしゃる通り、少なからぬ作家が「もう少し絵っぽくしよう」とか、「観る人にどう思われるか」を考えてしまう傾向があるのは否めません。
それは観客や市場を意識しすぎるあまり、あるいは自分の作品に対する不安から来るものかもしれません。でもガイトンの作品には、そのような妥協が感じられない。

サイズの話も面白いです。ジェフ・クーンズが「サイズがすごく重要」と言ったのは、視覚的・心理的なインパクトを考慮してのことでしょう。
大きな作品は鑑賞者を物理的に包み込む力を持ち、視覚だけでなく身体的な感覚も動員します。ガイトンのように平板な表現であっても、大きなスケールが加わることで空間全体を支配し、観る人に避けられない存在感を与える。結果として、その「薄さ」すらも力強いメッセージになります。

私:
ところで一緒に見にいった知人は、特に美術関係ではないがかなり文化的な目利きなんだけど、「ぺらっぺら」って言ってました。それと「アメリカン」な感じとも。彼ってアメリカ人よね。

CG:
そうですね、ウェイド・ガイトンはアメリカ人ですし、その「アメリカンな感じ」というのも興味深い指摘です!お知り合いの「ぺらっぺら」という表現も含めて、ガイトンの作品の特徴をよく捉えている気がします。

「アメリカン」な感じというのは、おそらく次のような要素があるのではないでしょうか:

  • シンプルで大胆な表現:アメリカのミニマリズムやポップアートの伝統に通じるものがあります。無駄を省き、視覚的なインパクトを優先する手法は、確かに「アメリカン」らしさを感じさせますね。

  • 大きなスケール:ジェフ・クーンズの話とも重なりますが、作品のサイズが鑑賞者に直接的な体験をもたらす点もアメリカのアートシーンらしい特性です。

  • 技術と偶然性の融合:デジタルや機械を使った制作方法は、アメリカ的な効率性や革新性を象徴している部分もあるかもしれません。

一方で、「ぺらっぺら」という感想は、ガイトンの作品が意図的に質感や重厚感を排除していることに対する率直な反応ですよね。それがネガティブな意味で使われたとしても、ガイトンのアートはその「薄っぺらさ」や「軽さ」を武器にしていると言えるでしょう。

マチエールについても、それが作品のテーマや構想と結びついていなければ単なる装飾にすぎない。逆に、ガイトンのようにあえて平坦で「余計なものをそぎ落とす」ことで、テーマを純粋に提示することも可能だと改めて感じられたのではないでしょうか。

私:
あと知人は、「なんかウォーホルに似てる・・」とも言ってましたよ。
必ずしも形態やモチーフだけでもない感想だと思うけど。

CG:
「ウォーホルに似てる」という感想、面白いです!
確かに、ウェイド・ガイトンとアンディ・ウォーホルは、形態やモチーフだけでなく、もっと広い意味での「アプローチの精神」や「アートの位置づけ」に共通点を持っていると考えられます。

いくつかの可能性を挙げると:
1. 大量生産の美学
ウォーホルはシルクスクリーンを使い、手作業の偶然性と工業的な複製性を融合させました。一方、ガイトンはインクジェットプリントを駆使して、同じように「手作業ではないけれど偶然性が介在する」制作プロセスを探求しています。この「機械的プロセスをアートに取り込む」姿勢が、両者の共通点と言えるでしょう。

2. 日常性の再発見
ウォーホルがスープ缶やマリリン・モンローといった、消費文化や日常的なイメージをアートとして提示したように、ガイトンもインクジェットプリンターというありふれた技術を用いながら、新しい視点で「絵画」を提示しています。「日常的でありながら、アートとして成立する」という構造が似ていると感じられるのかもしれません。

3. アートのコンセプト性
ウォーホルもガイトンも、アートの「コンセプト」そのものを重視しています。
つまり、何を描くか(モチーフ)以上に、「どう作るか」「その制作過程や素材が何を語るか」が重要です。この点で、単なる絵画や装飾的な美術とは一線を画し、視覚体験だけでなく知的体験をもたらす点が共通していると考えられます。

4. アメリカ的な背景
ウォーホルはアメリカの消費社会や資本主義の象徴的存在ですが、ガイトンもまた、アメリカ特有のデジタル化や効率性を背景にアートを展開しています。この「アメリカ的文脈」を共有している点も、二人の似ているところとして感じ取られるかもしれません。

お知り合いの「ウォーホルに似ている」という感想は、こうした形態やモチーフを超えた精神的・文化的な近さを指している可能性が高いですね。
あなた自身は、ガイトンとウォーホルの共通点についてどのように感じましたか?また、もしご自身の作品でこれに関連する視点を取り入れるとしたら、どんな形で表現してみたいと思いますか?

私:
うーん、平面性ってのは一つあるかな。ところで、私はネットなんかでガイトンの作品を知っていいなって思ったのは、彼のXていう形を繰り返したモノクロ作品群とか、そういうのだったの。今回の展示では出てなかったけど、もしかしたら彼の場合、モノクロ作品はまた別の感じだったかもね。
書なんかでもあまりがっつりしたマチエールないけど、概念的にはそもそもあまり表面がざらっとしてる必要ないぢゃん。

CG:
そうですね!平面性という視点は確かにガイトンとウォーホルの両方に共通していますね。
特にガイトンの場合、その平面性が作品の「概念性」を際立たせていると感じます。そして、あなたが指摘したように、彼のモノクロ作品(特に「X」の繰り返しなど)は、その概念的な側面がさらに強調されるものかもしれません。

私:
いずれにせよ私の結論は、ガイトンはエキサイティングだったってこと。
知人は(この人はあまり言葉を選ばないのだが)、 周り(芸術界の人々)が彼の作品を「深読み」したから世界的アーティストになったのでは?と言ってたが、深読みに誘う作品ってそもそも、魅力がある。

CG:
なるほど、最終的には「ガイトンはエキサイティング」という結論にたどり着いたのですね!
それが一番重要なポイントだと思います。深読みしたくなる作品というのも、確かにそれ自体に強い魅力や力があるからこそ、観る人の思考や解釈を引き出すんですよね。深読みされる余白が作品に残っていることも、ガイトンの強みのひとつなのかもしれません。

お知り合いの「深読みしたんじゃ?」というコメントも面白いですね。それが少し批判的なニュアンスであったとしても、その作品が多くの人々を引き寄せ、議論を生むという時点でアートとして成功しているとも言えます。
むしろ、見る人が「深読みせざるを得ない」状況を作り出しているのが、ガイトンの狙いなのかもしれません。

あなた自身も彼の作品を見て「薄い」と感じたり、「バーン」と感じたり、いろいろな感覚や考えが浮かんだわけで、そうした反応を引き出した時点で彼の作品はしっかりと働きかけているんでしょうね。

私:
まあ、深読みされたのではという知人の意見への反応としては、ガイトン自身が考えてることに直に触れたい感じはしたな。

この記事に彼の言葉が書いてある。
げっ、冒頭でウォーホルが引用されてるよ・・・。

それはともかくガイトンはこう言ってる、随分かっこいいと思わない?
訳してみて。
“You never know what comes out of the machine, I am always surprised. And often disappointed. Then I realize that what I wanted to do isn’t the right way of doing it. But there is as much doing as there is listening. The artwork tells you what it should be and how it should function. It is very important to stay attentive.”

CG:
「機械から何が出てくるのかは分からないし、驚かされることも多い。そして、しばしばがっかりもする。しかし、その後、私がやろうとしていたことが、実は正しいやり方ではなかったことに気づく。行動することと同じくらい、耳を傾けることが大切だ。作品はそれがどうあるべきか、どのように機能すべきかを教えてくれる。だから、常に注意を払い続けることがとても重要なんだ。」

確かに、ガイトンの言葉、すごくかっこいいですね!
機械から出てくるものにいつも驚かされるというのも、まさにアートの不確実性と偶然性を重要視している証拠ですね。
ガイトンがインクジェットプリンターという技術を使っていること自体、計算された不確定さを取り入れているように思えます。機械に対して、「予期しない結果」を楽しみ、学び取ることが大事だという姿勢が、彼のアートに対する柔軟な態度を物語っています。

行動と同じくらい耳を傾けることが大切だという部分も、深いですね。
彼の言う「耳を傾ける」とは、単に受動的な感覚ではなく、主体的な観察であり、作品が自らの形態や意味を教えてくれるというプロセスに関係していると感じました。

あなたのアートも、偶然性や不確定性を積極的に取り入れているところが共通していますし、ガイトンのこの言葉が響く部分が多いかもしれません。
例えば、「自分の作品がどうなるか分からない」「作品が示してくれるものを受け入れる」というアプローチが、あなたの目指すテーマや表現の姿勢とも通じる部分があると思います。

彼の作品を知ることで、あなた自身のアートにおける「偶然性」や「予期しない展開」の重要性について、改めて考えるきっかけにもなったのではないでしょうか。

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対談は以上です。ではまた!


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