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おはよう。

 「この世界で一番美しい物ってなんだと思う」ってキミが突然そう言うから、僕は寝ぼけ眼を擦りながら、ぼぉっとした頭をフル回転させざるを得なかった。

 「そんなの、人それぞれじゃないかな」って無難な答えを返すと、キミは「そう。」とだけ言った。

 「キミはなんだと思うの?この世界で一番美しい物。」
 「言葉。それ以外に無いわ。」
 「でもそれって、キミの意見だろ?」
 「違うのよ。それは違う。」

 真っ直ぐに見つめ返してくる。いつものキミだった。

 「じゃあどう違うのさ?」
 「それは言葉に出来ないわ。」

 どうしようもないなと思った。それじゃあ分からない。

 「でも、言葉に出来ないからこそ、言葉は美しいの。」
 「だって説明なんて無粋な事を、言葉は自己言及のパラドクスによって不可能にされているのだもの。だから言葉の美しさが解ける事は永遠にない。」

 「そして、それはずっと、私達の心の奥底に咲き続けている。私達がコミュケーション手段として利用しているのは、その花弁から垂れた一雫、言葉の一面に過ぎないの。」

 「…僕には難しい事は分からないよ。」
 キミが何を言っているのか、何を思っているのか、何を見ているのかも分からない。そして僕は、それをただそっとして置きたかった。
 キミを分かろうとすることは、僕にとってはグロテスクに見えた。お互いに何の利益も生まない。

 「そう。」
 その返事は分かっていた、と言わんばかりの無機質なような、孤独なような、少し寂しいような、それでも変わらない事に安心するような。
 そんなキミの言葉の響きが朝焼けにすぅ、と消えていく。
 
 その響きを空に手放す前に、僕は幻を見た。

 キミの横顔と目覚ましのコーヒーの匂いが、キミの声の響きに混ざり合った時、僕は此処に美しい朝靄の幻を見た。手を伸ばしてもキミには届かない幻。僕達は同じ世界に生きていない。そんな感覚が一瞬僕を冷たくする。

 でも、だからこそ、キミと違う世界にいる僕は、キミやキミを取り巻く世界の美しさを、何にも否定されずに言葉に出来る。孤独に冷やされた身体を、互いに温め合う事が出来る。

 「おはよう。今日も綺麗だね。」

 それはキミにとっても同じ事だった。
 「おはよう。今日も素敵だね。」

 夜明けに向けて、世界の体温が上がっていく。そうか。美しいとはこういうことだったのか。

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