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流した数だけ弱くなる。

あなたはよく泣きますか?

私はよく泣きます。

別に元から涙もろい訳でもなく、
滅多矢鱈に泣く訳でもありません。

幼い頃は、寧ろ泣かない子供でした。
年と経験を重ねていくごとに(と言ってもまだ24)
泣く回数は増えていく一方です。

泣く回数が増える事で感じた、
大人の涙について今日は語りたいと思います。


子供の頃の涙って、
自分が納得いかないことやイヤなことを
表現するために使うので、
泣いてしまえばある程度スッキリしてしまうのが
一般的かなと思います。

もちろん大人の涙でも、
号泣して寝入ってしまえば
次の日にはすっきりというパターンもありますよね。

ただ、私は、
涙を流すたび
その涙の意味を深く捉えすぎて、
その意味で作り上げた湖を
心の中に作り上げてしまう感覚があります。

涙を流すたびに
理由も辛さも違うけど、
どこかしら淀んでいて、
その淀みが頭のどこかで引っかかって、
ずっともやもやして、
考えすぎて苦しくなって。

それを繰り返していくうちに、
容易に泣けないなって感じるんです。

泣けば泣くほど自分が苦しい思いをしていく。
そこから這い上がる力、
涙を糧にする力があれば、
苦しくても這い上がってこれるんだろうけど。
私には涙の湖に沈んで、
淀みを見つめる力しかない。

どんどん光が遮られる湖底に沈んでいく。

息は苦しくないのに、
重たい水がまとわりついて、
浮力が奪われていく。

いつの間にか涙の湖底の住民になってます。


何のために、涙を流すのだろう。
流すたび弱くなるのなら、流す必要もないのに。

自分の弱さを知ることで、
他人の弱さを理解すると言うけれど、
他人の涙の湖には入れないから、
きっと本質的な理解はできないでしょう。

私の涙は何のために存在するのか。

湖底で気泡を吐きながら、
思考を続けます。

ひとまずは。

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