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漆黒の闇の中を

漆黒の闇の中をただ前を見て、見えない光を求めて。

向かっている先は正確なのか、本当にまっすぐ進んでいるのか。方向感覚さえ、わからなくなる真っ暗な闇で墜落しないように、ただ墜落しないように飛行するのが精一杯だった。

闇は永遠に感じた。
終わりが見つからなかった。
ただ、光を求めた。

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木々の葉が擦れ、そよ風と共に小さな合唱をささやいていた。

館内には落ち着いたクラシック音楽がゆっくりと流れるが、館内放送は慌ただしく流れている。

『21番から25番までの方は精算窓口までお越しください。』

ガヤガヤとした声が反響する建物内に凛とした女性の通る声が響いた。

受付窓口では入口にやってきた、患者の応対をしているナースがいた。
何回も何百回も繰り返されたであろうマニュアルのセリフを説明する。

『紹介状はお持ちでしょうか?お持ちで無い場合は原則的に紹介状をお持ちの方を優先とする為に・・・・・』

患者にはナースの声は最初から届いていなかった。

何かがおかしい。いつもの毎日の感覚とは違う明らかな異変。全ての感覚が狂い全身がまるで鉛でできたかのように重たい。

やっとの思いで病院に着いた、この事こそすら奇跡に思えた。

いや、それは奇跡だったのだ。

患者は、病院の入口で意識を失い、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
落ち着いた館内にまるで相応しくない女性の叫び声に近い悲鳴が響いた。

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どれくらいの時間が経過したのかは不明だが患者にとっては、意識が回復するまでの時間は一瞬の出来事だった。
カラカラと鳴るストレッチャーに乗せられて、何処かに運ばれている最中だった。
天国でも極楽でもなく、まだ現世にいるようだ。

ナースが隣の白衣の男に声をかける。
『患者さん、意識が戻りました。』
白衣の男は患者にハッキリと聴こえるようにつとめて大きくゆっくりと話しかけた。
『自分の氏名、住所、電話番号がわかりますか。』
耳に届いた音は声となり変換されて認識をして、すぐに患者は答えようとするが、言葉が出てこない。
声が出ない事は非常に不思議な感覚で、また非常に腹立たしく感じる事でもあった。
患者は懸命に声を絞りだす。せめて、せめて名前だけでも。それが音となり、声となり、伝わったかどうかはわからない。

白衣の男は患者が所持していた財布とその財布に入っていた他の病院の診察券を手にどこかに何度か電話をかけているようだ。
会話をしながらメモをとる。

そして、1件の家に電話をかけた。
『こちら○○地域病院の医師の△△ですが、◎◎さんのお宅で間違いないでしょうか。はい、息子さんが当病院にて倒れてしまいまして、すぐに来ていただけないでしょうか。』
『それはまだ検査をしてみないことには』
『意識を失っていたので脳のCTを、その後は』

白衣の男が電話をしている間、看護婦は脈拍数などを何度も計り直しているようだ。
驚いたように数値を確認して、何度も何度も。
患者が意識を保てるのは、そこまでだった。
安堵と不安を胸に抱き。
患者の意識は沈んでいった。

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中学校、高校と楽しい学生生活だった。
仲間と笑い、のびのびと楽しく学生生活をおくる自分の姿がまるで映画の1シーンのように走馬灯として蘇る。
ただ、楽しい表情で笑う奥に。影があった。黒い影だ。本人だけが、みえる影。
影が何かを呟いていた。
そう。それは。

ワタシハナニモノナノダロウカ。

ナノタメニウマレテキタ。

ワタシハナニニナレバヨイ

ワタシハワタシハ。

楽しい。充実している意識の中で楽しい感情の奥にひっかかり満たされないこと。
唯一解けない難問。

何をしていても楽しい。自分の好きな事。やりたい事ができている。
自分で自由を満喫して楽しい生活をおくれている。
楽しい。たのしい。たのしい。たのしい。しかし。

コレジャナイ。
ナニカガチガウ。
ワタシハナニガシタイノカ。

笑顔のみんなと笑顔の奥で本当の私は悩んでいた。
なんだか、どんどん離されて。光がどんどん小さくなって。
そしてあたりから光が消えて闇となった。

みんなからはぐれて暗闇をさまよい遭難して、ただ墜落しないように飛行を続けた。

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気がつくと、ここは病室のベッドの上のようだった。
患者は、ただ泣いていた。
悲しみの涙なのか、生きている事が嬉しい涙だったのか、それともその両方だったのか。

心配そうに顔を覗きこむ患者の母親がそこにいた。
『もう、本当に心配したわよ。目を覚ましたら、看護婦さんを呼んでくださいって』ブザーを鳴らすと看護婦さんと医師が病室にやって来た。
『脳にはCTで異常がありませんでしたが、生命を維持していくための機能が大幅に低下していた状態でした。今は大丈夫ですが、しばらく入院をしながら各検査を続けて原因を探していく事にしましょう。体をなるべく休める事をまずは最優先してください。』
医師は患者に説明して病室を去っていった。
患者は、またゆっくりと落ち着いた眠りについた。

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それは悪夢の遭難だった。
真っ暗な光の無い漆黒の闇の中を自らが持つ僅かな光で、飛行を続ける一機。
どこまでも続くような漆黒の空の中で、吸い込まれないよう、墜落しないように負けずに飛行するだけで精一杯だった。
患者は何度も何度も折れそうになる心と戦いながら、まだ見えない、どこにあるかもわからない光をただ、目指していた。


ワタシハドコニムカッテイル。

ヒカリハドコダ。

テレビをつければ、ニュースキャスターが顔をしかめて景気が悪化したニュースを報じていた。
落ち続ける株価。失われた20年なんて言われて、バブルがはじけてから最低の水準に落ち込み株価は低迷。
就職ができない学生も多く社会の空気がどんよりと落ち込んでいた。
『就職氷河期』『ロスジェネ』とも表現されていた時代。
なりたいものにも、なかなかなれない時代。
就職できない若者はフリーターとして今を生きるのに精一杯だった。
そもそも患者は『何になりたいのかが全く見えていなかった。』スタートラインにすら、レースにすら、参加ができていなかった。

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高校三年生になる頃になると、ほとんどの学生は自分の進路を決めていた。
進路が決まらない場合も『まずは大学に進学』
大学でやりたい事を見つければ良いさ。ほとんどの人がそうだった。

ほとんどの人はそう。
普通の人はそう。
普通ってなんだろう。
『普通の人生』ってなんだろう。普通がひっかかった。

良い大学に入って良い会社に就職して、良いお給料をもらう事を普通なのか。

結婚をして子供ができて、あくせく毎日働いて。
ドラマにあるような、あれが普通なのか。

人生の価値はお金が価値基準のモノサシの全てなんだろうか。
お金があれば、私の人生は満たされるのか?
お金が無いから、この虚しさや満たされない虚像をさ迷い探し求めているのか。

ではドラマなどで見る富豪が満たされず、孤独の中で最期を迎えるアレはなんだろうか。

本当に良い大学に入る事が私のこれからの唯一解で、人生の目指すべき『普通の進路なんだろうか』

そんな事を考えても考えても答えは見つからずにいた。時間だけがただ、経過していた。

レースはすでにスタートしていて、みんなはただ前を、ただ前を見て腕を振り走っているのに。患者はスタートラインに立てないでいた。

当然のように受験というレースにも失敗して患者は暗闇の中に落ちていった。
もがけばもがくほど、落ちる蟻地獄。
患者は自分が蟻のようだと思っていた。
ただ、ただ、穴に落ちると終わってしまう。
絶望に似た恐怖を感じながらただもがいた。

蟻地獄の中からかろうじて、外に必死に目をやると、
他の蟻達がとにかく輝いて見えた。

いや、他の蟻達は輝いていた。

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患者は浪人をせずに夜間の短期大学に通っていた。
昼間は働きながら自分の人生を考える。夜はレポートや課題を行う。短期大学に通学して1年間考えたが、そこに答えは見つからなかった。
そして進路を決める2年生がやってきた。
いや、やってきてしまった。

ワタシハナニモノナノダロウカ。
ダレカイイカゲンニオシエテホシイ。
ワタシハドウスレバヨイノカ。

考えても、考えても答えが見えない。
苦悩する度に体の中から大きな鉛を飲み込んでしまったような重さを感じていた。

そして、それは、やがて、ゆっくりと。

患者の。体から。体力と。自由を。奪った。

漆黒の闇の中で飛行機は不時着をした。
そこは総合病院のベッドの上だった。

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総合病院に入院してからの記憶は患者は、ほとんど覚えていなかった。
病院食を食べて検査に行き、体を休めて本を読みラジオを聴く。
毎日がゆっくりだった筈だが、患者はほとんどこの時の事を覚えていない。
入院期間は3週間が経過しようとしていた。

ふと患者は、ある時に思った。
何故に私は病気になってしまったのか、いつになったら退院できるのか。

もしかしたら、親は病気の事を知っていて私に隠しているのではないか。
もう病院の外に出る事はできないのかもしれない。
なんだかとても後悔の念が強くなった。ただ泣いた。

このまま、私の人生があっけなく終わってしまうならば。
どうしてもっと旅に出なかったのだろう。
どうしてもっと社会の為に貢献しなかったのだろうか。
どうしてもっと、親や周りの人に感謝しなかったのだろうか。
どうしてもっと学ぶ事をしなかったのだろうか。
どうしてどうして、私は。
とにかく悔しさがこみ上げてきた。

ノートにやりたかった事を書き出した。

いつか考えた普通の人生。
そう、良い大学を目指し、
恋をして結婚をして子供ができて、毎日をあくせく働いていく。
健康な毎日。外で働いて汗を流して、家に帰れば家族が待っている。

それは実は。
私がやりたかった事は。


『大事な話があります。』

言葉とは裏腹に微笑を浮かべながら女医が私の近くまでやってきた。患者は親と診察室に向かった。

診察室に入り、席に座ると
女医はゆっくりと話し出した。
『退院できる事が決まりました。3週間、全身をくまなく調べましたが、病気ではありませんでした。
確かに倒れた時は危険な状態でした。しかし、病院でゆっくりと休んでいただき
体力も回復が認められています。病気の原因は真面目に色々と考えてしまう自分自身です。自分自身で生命をコントロールする器官に負荷をかけてしまっていたのです。』
患者は、ただ泣いていた。

『そのノートを見せてください。毎日焦らずに、1つ1つ楽しいと思った事を叶えていってください。退院できて、本当に良かったですね。おめでとうございます。』

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不時着した機体はすっかりと回復して、日の光を全身に浴びていた。暗闇はどこにもなかった。

テレビでは競馬中継の日本ダービーをやっていた。
アグネスフライトという馬名の競走馬が長くずっと叶う事のなかったベテラン騎手の夢を叶えて、ダービージョッキーになったシーンを映していた。

次は患者がフライトする番だった。

充実した気力を胸に病院から機体が元気良く、光を浴びて飛び立った。

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石澤大輔
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