創作意欲はどこから生まれ、どのように維持され、どう死ぬのか 1
文章を書こうとか、絵を描こうとか、音楽を創ろうとか、そういう意欲って何なのだろう
訳あって、このことをちょっと考えてみようと書き始めたのだが、長くなったのでタイトルに沿って3部構成で投稿してみようと思う
なお、一通り書き上げて読み返してみると、結果的にごく普遍的な内容になってしまったため、「とりとめのないだらだらとした記事」が苦手な方はここで引き返すことを推奨する
1 創作意欲はどこから生まれるのか
2 創作意欲はどうやって維持されるのか
3 創作意欲はなぜ失われるのか
創作意欲はどこから生まれるのか
私の場合、きっかけは非常に些細なことだ
小中学校時代には活字中毒レベルに小説を読んでいたのに、高校に入って本を読まなくなったと友人に話したところから始まる
友人は私の話を聞いて、「それだけのインプットがあってアウトプットをしないのはもったいないし、読まないなら書いてみればいいのに」と言う
その時の私は「いやいや私には無理」「書いたことないし」「書けてもクオリティ低いよ」
そう思ったし、そう返した
でも、家に帰って友人の言葉を思い返して、書く側も経験したらまた本を読むのが面白くなるんじゃないか、と考え直した
じゃあ何を書こう
数日はそれで頭がいっぱいだった
そして考えた末に初めて書いたのは、とある思い出話だった
内容は置いといて、その時「書くこと」って難しいと思った
前後の表現と被らないようにしながら、自分の言いたいニュアンスにあった言葉や言い回しを探す
半面、その難しさが面白いとも思った
noteを始めるきっかけも、ほんの小さなことだ
友人がnoteに投稿する文章を見て、彼女の文章を読み続けたい、私もこんな文章が書きたい、ただそれだけだった
たぶん、創作意欲が生まれるのには2種類(+α)ある
①無自覚なうちに
小さなころから絵を描くのが好きとか、ピアノを弾くのが好きとか
私の場合はピアノがこのパターンだった
②何かに触発されて
これが私が文章を書き始めたときのパターンだ
高校生、大学生、あるいは大人になってから、「面白そうだし始めて見ようかな、えいっ」みたいなノリが多いんじゃないかと思う
私の周りで言えば、高校で美術部に所属して絵がめちゃめちゃ上手い人が、大学に入って突然尺八始めたりとか
あるいはビジュアル系バンドが好きだった友人が最近インド音楽にハマって、インドに行きたくてしょうがないとか
③感情の昂ぶりを表現する手段として
これは創作意欲が生まれることと維持されることの中間にあると思っているが、怒りや喜びなどの感情が高じて生みだされる作品もある
Twitter等でよく流れてくる「こんな出来事がありました」というマンガが一例といえる
個人的には、このパターンはある程度創作することの基盤ができている場合が多い印象だが、もともと作る予定になかったものが急に「創作対象」に昇格するという意味では、創作意欲が生まれるうちに入るのではないだろうか
また、創作の意図よりも出来事を伝える手段としてマンガや記事を書いたりするのは「意欲」よりもやや「使命感」の要素も強いように感じる
単に私の経験を振り返るとほとんどが①②に振り分けられるが、人によってはもっと別の理由があるのかもしれない
私の場合、創作意欲は正直どこで生まれるか、その時になってみないと分からないというだけの話である
ただ、そのきっかけは案外その辺に転がっているものなのである