我々はどこから来たのか_我々は何者か_我々はどこへ行くのか_比率変更

創作意欲はどこから生まれ、どのように維持され、どう死ぬのか 3

2からの続きです

1 創作意欲はどこから生まれるのか
2 創作意欲はどうやって維持されるのか
3 創作意欲はなぜ失われるのか

創作意欲はなぜ失われるのか

前回では創作意欲を維持する要素を挙げたが、逆に創作意欲を失うときにはどのような要素が絡んでくるのか

①スランプに陥る
厳密には「創作意欲を失う」わけではないのだが、「創作できなくなる」という意味でこちらに入れている
作品を作る過程で行き詰まるのはよくあるという話をちらっと前述した
ここで比較的早い段階に抜け出せたら一番いいのだが、どう悩んでもあがいてもうまくいかないことがある
このとき諦めずにリフレッシュしたり、知識のインプットに徹してみたりすると、しばらくしてするっと呆気なく抜けられるのがほとんどだ
だがこの「気分転換+待つ」ができないと、創作意欲の喪失に繋がってくる

②他に興味のあることを見つけた
あるいはポジティブな理由で創作をやめるとき
さらに熱中できることを見つけたときである
たとえば釣りにハマったとか資格取ることに集中したいとか
この場合には熱意の向く方向が変わっただけで、この方向転換した先のインプットが、のちに創作に戻ってきてのアウトプットに変換されることもある

③創作できる環境ではなくなった
進学や就職、その他環境の変化がきっかけで創作にかける余裕がなくなる
これはわりとよくあることなのではと思う

私が物書きをやめたというか続かなくなった理由はが原因である
大学進学と同時に上京したためいろいろ外に出て経験したいと思っていたが、物書きも続けるつもりだった
ところがいざ上京してみると、経験したことのない世界が多すぎてそれどころではなくなってしまった
「大学時代はインプットの時期」と割り切ってここまで遊び呆けてきたが、このあと「(無事内定取れたら)仕事のインプット」も待ち構えていることを考えると、私がアウトプットに取り掛かれるのは当分先になりそうだ

④評価を気にしすぎる
批判やアドバイスをもらうことで削がれる場合もある
前回、意欲を維持する要素に「評価を気にしすぎない」を挙げたが、その逆に今後の作品に反映できそうなアドバイスや的確な批判を貰うことで意欲を失うパターンである
ここは創作者の性格も大きく関係すると思う
人からの反応を貰いすぎてプレッシャーになる、アドバイスを次に活かさなきゃという思考に捉われる、などなど
創作は真面目すぎてもマイナスに働く可能性があるので、適度に肩の力を抜く必要がありそうだ

⑤他人からの誹謗中傷
一番わかりやすいのが他人から浴びせられるかもしれない誹謗中傷だ
特にネット上では作家の素性も努力も見えない上、閲覧する側は顔も素性も見せなくて済む
そのため、うっかり遠慮容赦なく言われたりすると、たった一言でぽっきりと折れてしまう
プロレベルの実力を期待したところでそうできるはずもないし、大概それは本人が一番よく分かっているものだから、何か思うところがあっても表現を変えるか心に留めておいてほしい

⑥冷やかし
誹謗中傷まではいかない冷やかしは個人的に心に刺さるので1番最後に入れてみた
私はあまり誹謗中傷を受けたことがないのでそちらのダメージについてはなんとも言えないが、創作に対する冷やかしについてはかなりしんどいものがある
普段ポンコツでバカ正直なのは否めないので、私自身についていじられたりバカにされたりするのはあまり気にしない性格なのだが
物書きについては「小説今度見せてよww厨二な感じ?どんなの書いてるの?wwwww」みたいなノリで言われるのはなぜか腹が立つし、バカにされるために書いてるわけじゃない、と思うので不思議なものである
このあたりの心理を誰かに読み解いて欲しいくらいだ

まとめ
創作意欲を失う要素として、

①スランプに陥る
②他に興味のあることを見つけた
③創作できる環境ではなくなった
④評価を気にしすぎる
⑤他人からの誹謗中傷
⑥冷やかし

全体の軽いまとめ

創作するにあたって創作者はもっと肩の力を抜いて携わればいいと思うし、閲覧者側ももっと気軽にスキやいいね、コメントを送れば、いい作品をまた創作者側が出してくれるかもしれない

あとがき

これを書くきっかけになったのはある友人から冷やかし(3-⑥)と受け取れる反応を貰ったからだ(恐らく悪気はないのだろう)
さらにその本人に「書く意欲が削がれた」と言ったところ、「じゃあその理由を書いてみれば」と提案されたので、やったろうじゃないかと書くことになった次第である
「腹が立ったから」という「意欲が生まれる要素③(1参照)」によって書く気になったのはこれが初めてなので、ある意味貴重な機会を得たと思うことにする

ここまで書いてみて、冒頭で述べた通り本当に当たり前のことしか書いてないな、というのが率直な感想である
ただ久々にこういった長い文章をちょっとずつ整理しながら書いたので、いいリハビリになったかもしれない
満足した

(感想・アドバイス・批判があればコメントでもTwitterのDMでもどうぞ)

※表紙画像について
《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》
ポール・ゴーギャン、1897年

タイトルをやや寄せたからという安直な理由で使いました
特に深い意味はないです

追記
友人からの冷やかしについて、恐らく悪気はないのだろうと付記したが、この投稿を読んだ本人から「悪気があるかないかで言えばあった()」との自己申告があったので訂正します
やめような

いいなと思ったら応援しよう!