ギターのある暮らし#0 50年後の自分
50年後、きっと私は死ぬだろう。
ぴったりその数字じゃなくたって、その10年前後で必ず「死」はやって来る。だって、人間の致死率は100%なのだから。
昨年、ふと70代の風呂仲間(※)に言われた一言を思い出して、ずっと考えていた。(※同じ温泉に通う常連客)
「カナちゃん、やりたいことがあったら50歳までに始めておくんだよ。」
定年して、仕事をしなくなってから、時間が出来たらやろうなんて思っていても、歳を取ると結局やらず、若い時にやっておけばよかったと思うのだそうだ。
人のアドバイスを素直に聞くところは、幼少期より私の長所であると自負している。
50歳までに極めろと、彼女は言っていたわけではない。
歳を取ってから、新しいことを始めるという事がいかに難しいかという事を教えてくれたのだと思う。
仕事の事ばかりを考え、成長への行き詰まりを感じていた。
数字を追いかけることは嫌いじゃない。
成果も見えるし、達成感もある。
日々の作業と、これからの仕事の事を思えば、一日なんていくらあったって足りない。ずっとそれだけをやって生きていってもいいとさえ思っていた。
けれど、一つの事ばかりに目を向けすぎていると、自分が今どこにいるのかわからなくなった。
人の気持ちが遠くに感じた。
彼女のそのアドバイスを聞いて、仕事とは別に私は何をして生きてみたいと思っていたのかと考えた。
幼い頃より「職業について」は色々考えさせられる機会が多かったけれど、今となっては、どんな職業に就くかなんて考えなくてもいい。
既に「椅子張り屋」として独立しているのだから。
思春期のあの頃、どんな未来を描いていたのか、
うーん、うーん、と思い出してみると、
そうだ!ギターを弾けるようになりたかったんだと思い出す。
アルバムの中のギター
プロになりたいと思っていたわけではない。
ただ、友人と楽しくギターを弾けたら、どんなに楽しいだろう…
イギリスで連れて行ってもらったアイリッシュパブでは、みんなが楽器を持ち寄り、飲みながら演奏していた。
あの時、私も楽器が弾けたら仲間に入れたのにと思っていた。
年末に久々に行ったライブにも影響されて、
押し入れをガサゴソ・・・
あった!
高校生の頃に買ったアコースティックギター(+ギタレレも)引っ張り出してきた。
あの頃、なんで諦めてしまったのだろう…
続けていれば、今は弾けるようになっていたかもしれないのに。
25年ぶりにソフトケースを開けると、
ギターはあの頃のままだった。
25年前、ギターを押し入れにしまわなかったら、今はもう少し違う生き方をしていたかもしれない。
それならあと25年、続けてみたらどんな生き方になっているだろうか?
そんな風に考えてみるのも面白いかなと思った。
四半世紀が4回来ると、人は100歳になるのだ。