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私は「一番でないといけない」と思いこんでいた

私には母に言われた忘れられない言葉がある。

「じゃあもっとがんばらなあかんね」

というひと言だ。

私の通っていた学校では成績の順位を張り出すことはなかったけれど、先生によっては最高点や上位から数人分の点数は発表していた。私はそのテストで90点近くは取っていたと記憶している。けれど、クラスにはそれよりも高い点数を取った子が2人もいた。

家に帰った私は答案を母に見せながら「まぁ私の上にあと2人、いい点の人いたみたいやけど」と言った。自分としてはほめられるには十分な成績だと思っていたが、いちおう建前として、一番ではないことを悔しがっているように見せたかった。そして「いや、それでもいい点とってるしがんばったやん」という言葉を期待していた。

けれど、その期待は母の「じゃあもっとがんばらなあかんね」のひと言で裏切られてしまった。

いま振り返ってみれば、母は私の言葉を謙遜ではなく、そのまま受け取って励ましたかったんだとわかる。けれど、大人になるいまのいままで、私にとって母のひと言は「一番でないと手放しにはほめてもらえない」という重い枷になっていた。

私が成績にこだわっているのにはわけがあった。

私には少年野球のチームでエースをつとめる弟がいた。

弟は小学生のころから少年野球に打ち込み、かつて野球をやっていた父を筆頭に、家族の生活は弟を中心に回っていた。土日はもちろん休みなく練習があり、ときにはまる一日かけて練習試合や公式試合などで遠征することもあった。

3つしか年齢の離れていない私は、当然のようにその移動に連れて行かれ、試合時間中はそれほど興味もない試合を眺めるか、図書館で借りてきたティーン向けの恋愛小説をひたすら読みふけっていた。

「あいつはすごい」
「どこの高校からスカウトの声がかかるかな」

と、弟をほめ、期待する大人たちの声は私にとっても嬉しい反面、いつも「自分は何者にもなれないのではないか」という不安がつきまとった。

だからこそ、人より秀でた「才能」や「特技」をもっていることが私にとってはとても羨ましく思えた。

スポーツや音楽や芸術で素晴らしい結果を出す友人も、几帳面でいつも片付いていてきれいな部屋を保っている幼なじみも、要領よくテスト前に少し勉強しただけで平均点くらいは余裕で取る幼なじみも、みんな手放しに自分より素晴らしく見えた。

そんな周囲に張り合えるように、もっと特別なことで輝いていたかった。でも、習っていたピアノでも習字でも、私より上手い人はそこらじゅうにいた。

弟と違って運動がまったくできなかった私は、努力すればなんとかなる勉強でがんばるほかになかった。テストで結果を出すことは自分を守るための武器だった。「勉強ができる姉と運動神経がいい弟」というわかりやすい棲み分けをすることで、私は家族やまわりの人たちのあいだでの居場所を見つけようとしていた。

だからせめて穴がないようにそのときどきの自分が自信をもってできることしか見せたくなかったし、人前で失敗する姿を晒すなんてもってのほかだった。人と比べて素晴らしいと思えないものをなんでもないような顔で披露するなんてことは絶対にできなかった。

少しでもいたらないところがあれば「まだまだだね」と合格をもらえない不安を抱え、同時に「その程度で得意げにするなんて恥ずかしい」と私の中のもうひとりの自分がうしろ指を指してくるのだ。

そしてそのもうひとりの心の奥底には「本当は何点を取っても、なんにもできない私であったとしても母にほめられたかったのに」という子どものころの自分がいつまでも居座って駄々をこねている。

その言葉を大人になったいまでも抱えているとわかって、ようやく私は小さな自分を抱きしめられた。

心の奥底でわんわん泣く昔の自分を優しく抱きしめ頭を撫でながら考えた。私は母に怨み言を言って傷つけたいわけではない。そして、いまの自分にとって実際に母からほめてもらえるかはそれほど大切ではない。あのときの私は、ただ無条件にほめてもらいたかったんだとわかっただけで十分に癒やされた。

一番でなくてもいいのなら私は何をやってみたいだろうか。自分が創り出すどんなものを、世界中の人に見てほしいと思うだろうか。

完璧でなくても大丈夫とわかったいま、私の人生はまだまだやりたいことで満ち溢れている。

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