期待されたことに背くも刷り込まれた超自我と現在

母は私を思い通りにしたく教育しそこから逃れられないようにするつもりなのは
幼い頃から気付いていた。

私はそうゆう生き方、親の在りかたがとても嫌いだった。
自分をもち自由で華やかで私はその背中をみて育つのが理想だった。
子供に依存する親から産まれた子供じゃないっぽい自分がなりたかった自分だった。
私の統合失調症的自己乖離感はここからきているかもしれない。

そのような親でないことを責めたし、理由を探したし、
発達障害特性(今思うとそれに該当する)を持っているなら子供を産まないでほしかった。
(今でも自分が障害者でありながら優生思想を強く持っている)

しかしそこから逃れようとするも私が『相手の思い通りにしないと罪悪感を持つ』のは刷り込まれている。

それはこの人の思い通りにしてあげなきゃいけないと先回りして期待通り動くことであり、
だから人から軽んじられるけどどうしようもなかった。

本来なら母の思う『いい子』であり続け、ピアノの先生になり普通の家庭を持つ(母が何を考えていたかは定かではないが)道もあったろうが、
私は二十歳になる前に家を出てそこを抜け出したつもりでいたが結局あまり抜け出すことはできていないのだと最近になりそんなことを思う。

就職し結婚した今も私はやはりあの家の子であり、
その中で最適化しただけ。
そんなに誇れることは何も無いしなくていい。

やはり人は収まるべきときに収まる。
そんな自分を認め自立して生きていればもう十分じゃないかとおもうと、
何も憎まず生きていける気がした。

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