イケてる男になりたい
お世話になっている美容師さんがいる。家のすぐ近所で徒歩5分。美容師さんはイケメンだ。オシャレだ。良い香りがする。
卑屈星の卑屈村で生まれ育った私にとって、その美容師さんはあまりにもまぶしい。
「また来たよ…あの恥知らず」とか「なんで俺が切るんだよ、てめえの髪くらいてめえで引きちぎってろや」とか「流行りってことにして、お前もデーモン閣下みたいな髪型にしてやろうか!!」とか思われているんだろうなあ、という妄想は何度通っても止まらない。おそらく料金も正規より2~3割増しでとられてるんだろうなあ、とか思っている。
卑屈な男はイケてない。これは原始時代からのゆるぎない事実である。
「俺!マンモス倒すの超得意!」「みてよ俺の石器!一番かっこいいだろ?」「お前、土偶にそっくりだな…そんなところ、好きだぜ。」
みなぎる自信に溢れた行動と振る舞いができる男こそが、オスとして認められ、多くのメスの心をつかんできた。それがイケてる男である。
それがわかっていながら卑屈な自分は変えられない。
それでも、こんな私でも、髪型だけでもイケてる男にしてくれる美容師さん。
私はその美容師さんのところへ髪を切りに行く。なんだかんだで居心地がいいし、それにすぐ近所だから。徒歩5分だから。
先日、施術後に美容師さんが私に告げた。
「自分、この店辞めることになったんですよ。」
「そうですか。残念です。」
私は返す。冷静を装っているが、心の中では
(げええええ嘘でしょどこか遠いところにいってしまうの?なんでそばにいてお願いお願いごめんなさいなんでもしますからねえねえねえねえ)
とメンヘラが暴れていた。
人間というものはいずれ別れがやってくるものだ。それがいかに辛いものであろうとも、黙って別れを受け入れることがイケてる男の嗜みである。これは恋愛についても同じだ。ちなみに私は5年くらい彼女はいない。
「どうして辞められるんですか?」
イケてる男の嗜みとして、別れの理由を追及しない、というのもあるのだが、ここで会話を終わらせるのはあまりにもぶっきらぼうである。冷静に私は聞いてみた。
「自分、独立することになったんです。やっと自分の美容室が持てるんです。」
「それは素晴らしい。良かったですね」
あくまでも冷静にかついたってシンプルにお祝いを述べたが心の中では
(すごいすごい本当におめでとうございますお兄さん最高だからそりゃ当然ですよおおおうわあああああおめでとうううううわあああああ)
メンヘラ大暴れである。しかし抑えた。
イケてる男は寡黙であるべきなのだ。
「お店、○○のあたりなんで是非来てくださいね!」
「勿論。必ず伺いますよ。」
(絶対…絶対会いに行くからね…待っててね…)
イケてる男は約束を守る。人とのつながりを何よりも大事にするのだ。
そんな会話をもって、その日は帰路についた。
帰宅後、少し不思議な感情に包まれた。
誰かの成長や成功を心から祝える自分がいることに驚いた。ひがみ、ねたみ、つらみ、そねみ、あらゆる負の感情に支配されていない自分がいることに少し感動した。自分のことに至ってはあれだけ卑屈な私であっても、誰かのことを心からお祝いできた。そんな事実に、少し自信がついたのである。
イケてる男とは、こうあらねばならない。
他人を認める余裕がある男こそが、他人に認められる男になるのである。
その後、○○という地名を調べてみた。遠い。電車を2回乗り継がねばならない。40分かかる。
翌月、私は徒歩4分の美容院を見つけ、そこへ向かった。
イケてる男とは、時間を有効に使うものなのである。
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