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映画 「ハズバンズ」 ジョン・カサヴェテス 監督

映画「ハズバンズ」1970年・アメリカ/ジョン・カサヴェテス監督

カサヴェテス作品を映画仲間たちと語るのはとても楽しい。けれど、作品論やカサヴェテスの描くものについて解説することを虚しく思えるのは私だけではないと思う。一つ一つの作品のなかに映し出される、たとえフィクションだとしても俳優たちとカメラとの間に起こっている現実が、信じ難いエネルギーとしてフィルムに記録され、それを目の当たりにすると、何故か閉口してしまう。

本作は、家庭を持った中年男性たちが、急死してしまった親友の葬儀後に現実逃避とも呼べるひとときの放浪を描いたものだ。

俳優のもつものが大いにある。ベン・ギャザラ、ピーター・フォーク、カサヴェテス、ほかのキャストが、演じるというものから逸脱して映る。演じてはいるのだろうけれど、関係性がそうさせるのか、撮るカメラがそうさせるのか、演出がそうさせるのかわからないが、それぞれの「人物」が鮮やかに映されている。恐ろしいまでに美しいと私は思う。映画のなかに音楽というものが無いのも、誇張させる要因になっている。俳優たちが映画の物語をも、ものすごい力で引っ張っていく。何かが起こりそうな予感しかないまま、映画はどんどん進んで行き、ラストを迎える。それは本作だけではなく、カサヴェテス作品すべてにおいて言えることだ。恐ろしくて鮮やかな緊張感とも言える。

物語について語ることの必要性を失わせるのが、本作の一番の魅力なのかもしれない。それを裏付けるものと言えるのかわからないが、本編ラストに強く記録されている。カサヴェテス演じるガス(歯科医)が、たくさんの土産を手に家に着くシーン。子どもたちがそれを出迎えるのだけれど、ガスが子どもへかける言葉やその当たりというか、自然な心地のよい温度と呼べるものがある。カサヴェテスの人となりが大いに露わになっているものに思えてならない。カメラはそれを正しく記録していて、観るものの心に消えないものを残す。ざらざらした猫の舌に舐めらるのが心地いいと感じるように、カサヴェテス作品のざらめきが、脳内を心地よく舐め回してくれるからだと思う。

筆者/北島

絵/花堂達之助

#映画感想文

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