映画『アウトサイダー』ディレクターズ・カット版/フラシス・フォード・コッポラ監督
映画『アウトサイダー』ディレクターズ・カット版 2005年・アメリカ/フランシス・フォード・コッポラ監督
本作は1983年に製作され、約2時間の上映を要するものを配給元の指示により約90分の作品として、当時は公開された。劇場公開から23年後の'05年、コッポラ監督は削除シーンを含めて再編集、復元を行なったものが本作となる。
オクラホマ州タルサ。両親を亡くし2人の兄と暮らす14歳の少年ポニーボーイ(C・トーマス・ハウエル)は、街の東側に住む貧困層の不良グループ「グリース」の一員で、2歳上のジョニー(ラルフ・マッチオ)やリーダー格のダラス(マット・ディロン)といつも一緒に行動していた。街の西側には「ソッシュ」と呼ばれる富裕層の若者たちがおり、グリースとソッシュは激しく対立している。ある夜、ポニーボーイとジョニーは公園でソッシュに絡まれ、いつものようにケンカとなるが……。
本作はS.E.ヒントン著の小説を原作としている。
アメリカの若者たちの群像劇である。
本作を観ていると、ヒリヒリとした生々しい痛みのような感覚が最初から最後まで描かれ、終始貫かれている。
当時の撮影現場ではどのような空気が支配し、若い彼らを包んでいたのだろうかと慮らずにはいられない。
14〜17歳くらいの年齢って、自分の社会を形作ろうとしている、もしくは親と離れることを好むというのか。思春期という簡素な言葉では片付てはいけない、とても濃密で誰もが避けては通れない時期なのだと言える。
本作で描かれた若い彼らにも、しっかりと彼らの社会組織が存在し、その中で彼らは育まれて来たというのも本作から垣間見ることが出来る。
女とか男とか、性別を超えて言えるのは、彼らの年齢からすると彼らの社会組織というものはとても大きい存在であるということ。心の中では、実質的に家族よりも大きくて絶対的だったりしてしまう。人それぞれなのかもしれない。だが、自分自身をも俯瞰して見れない時期だから、自分を取り巻く状況や社会なんてものも俯瞰して見ることは、きっと、まだ出来ない、もしくは難しいと言っていいのではないか。
自分を出すこと、本当の気持ちや弱さ、恐怖心。彼ら自身にも、それらには気づくことは出来ないのかもしれない。すべてを仕舞い込み、存在すらしないかのごとく、周りに振る舞うことで、自分をその中、環境や社会に差し出しているかのように本作では映る。
心の中にある本当の恐怖心や不安、猜疑心を彼らは自ら見て見ぬふりをして表層的に自分を作り上げている。向き合うということから避けて。
敵対した相手を殺したジョニー(ラルフ・マッチオ)。彼の心理描写はとても明快すぎるほどではあるが、痛々しいほどに拙く美しい。
問題児的兄貴分のダラス(マット・ディロン)。彼の心理描写も同様と言える。
彼らは事件や仲間の死をきっかけに、これまで蓋をしていたものと対峙し、そして耐えきれず仕舞い込んだものが露わになったと言える。
ポーニーボーイ、ジョニー、ダラスの三人が朽ちた教会が火事になり、中から子どもを救出する場面。ここから、本作のベクトルがこれまでとは異なる方向へと急速に変化する。
“子どもたちを助けなければ“ 、“助けたい” という、衝動、行動、感情の大きなうねりが躍動する瞬間であり、彼ら本来のものが露わになった瞬間とも言える。
スティーヴィー・ワンダーの主題歌「stay gold」
哀愁溢れるメロディと歌声は、儚いものを優しく讃え、人生あるいは青春讃歌とも呼べる歌である。
ジョニーが残す言葉と呼応し、物語を一層輝かす。
青春映画とか好きじゃないし。と思う人にも胸張って勧めてもいい。
そう思わせるのが、本作の本当の魅力かもしれないと私は思う。
筆者:北島李の