うつ病のふりをしているだけなのか
9/13にうつ病と診断されました。
私の母親も双極性障害を患っており、いずれこのとき(自分も精神疾患になること)がくることはわかっていたので、そっか、今か〜というのが率直な気持ちでした。
診断を受けてから1週間今の気持ちをまとめておきたいと思い、筆を取りました。
◎消えたいという感情
物心?がついた時、というよりかは自分の感情や思考を整理できるようになった頃より、自分には喜怒哀楽といった感情の他に消えたいが初期装備されていることに気がつきました。
もちろん、普段生活していて辛いことや逃げ出したいことが起きた時に「こんなに恥ずかしい思いをするなら消えてしまいたい、」というような感情を持ったことがある方もいるのは重々承知しています。 しかし、そのようないっときの消えたいとは別物であるというのをうっすらと感じていました。
私が装備してる消えたいという感情は、何か要因となる出来事は関係なしに、「朝の通学や通勤の電車を目的地をすぎても降りずにずっと乗り続けてそのまま自分の存在ごとなかったことにならないかな」といったものです。
最近よく聞くようになった、人間関係リセット症候群の最上級と言ったらわかりやすいのかなあ
◎なぜ死にたいでなく消えたいなのか
私には有難いことに、私が亡くなった時におそらく悲しんでくれる友人がいます。また、前述の通り、双極性障害の母も希死念慮と戦っていて、「〇〇ちゃん(私)が自死するようなことがあったら私もあとを追うからね」とお互いがお互い自死しないためのストッパーの役割を担ってる、悪く言えば担わされています。 しかも、私って中途半端なので死ぬ勇気はないんです。本当に。消えたいっていうけど死にたいわけじゃない。そんな矛盾を抱える自分は実際に死を選ぶことができる人に一種の強さのようなものを感じます。
◎消えたい感情と共存すること
自分の中にある消えたいという感情を飼うのは結構しんどかったです。
やはり数年周期でストレスの度合いで自分ではコントロールできないことがありました。今回も含めると3度です。
1度目は祖父が癌で余命宣告され、夏休み明けから1ヶ月不登校になった高校2年生の頃。
2度目は実習指導教員のLINEが厳しく、コロナ禍もあいまって自傷行為(腕を噛む)に初めて手を出した大学3年生の頃。
そして、今回です。
身体的な不調が顕著に出たのは今回が初めてで、涙をコントロールできず、消えたいという感情をうまく扱えなかったのも今回が初めてでした。
過去2回はどんなに辛くても人前で泣いたりしなかったので。
社会人になってから、ここまで落ちるのは初めてで、これまで多少の波はありつつもうまく過ごせていた分、やっぱりうまく共存できない自分は人間として欠陥品なのだなと改めて感じました。
◎診察時、戸惑う
主治医からいつから辛かったか?という質問は答えるのに戸惑ってしまいました。
消えたい感情を飼うことはずっと辛かったから。
また消えたいと言葉にすること、辛いと言葉にすることを許されないと思っていました。
それは高校2年生の時、両親がお前もかと言ったような表情や態度をとった(ように感じた)ことがあったからだと思います。
(今思えば被害妄想も入っていたと思います。誤解を生むかもしれないので書きますが、両親はその頃高校まで車で送迎してくれていましたし、私がまた登校できるように一生懸命サポートもしてくれていました。)
その頃、あるいはそれより前から自分は家族の立ち位置として"いい子"でいなくてはならないと思っていました。(=他人軸での思考が癖になっていました。)
なので困りました、ずっと辛かったずっと消えたい感情と生きてきた。
なので、いつ頃?なんて正確な時期はわからないんですよね。
いつ頃から辛かった?という質問に対して私がうまく言葉にできないことを主治医が察してくださり、それであれば今ここまで辛くなってしまった、体調の変化が出たのはいつ頃かと質問の仕方を変えてくださったので、診察はことなきを終えました。
それから余談ですが、他人軸で生きてきた人間にあるあるなのか、自分のことを話す時泣いてしまいます。こういう人生でこういうことを思って過ごしたきたという話をする時に、ああ自分って辛かったんだと思い返すことができるからなのかな。
◎本当にうつ病なのか
繰り返しになりますが、うつ病と診断されてそうかあ、今だったのかと思ったのが正直な気持ち。
一方で、本当かな?私が辛いと思っているのは、仕事をサボりたいからうつ病みたいなふりをしてるだけなのではないかなどとも考えてしまいます。
人間波があるのが当然なので、私にも比較的活動的になれる時、面白いことを見て笑える時があります。
そんな時にふと思うのです。私は本当にうつ病なのか?と。笑っていいのかなとも思います。
病識がないとは別で、ある意味自分は幸せになっては行けない、辛くないといけないと呪いをかけてるようにも今、文をまとめていて感じました。
お前なんかが幸せになっていいのか?
お前ごときの辛さでうつ病なのか?
ただサボろうとしてるだけなんじゃないか?
今はそんな気持ちと戦っています。
自分がうつ病と認められないというよりかは、私なんかがうつ病と名乗っていいのか?という感情に近いです。
早く元気になって笑える時に笑って、楽しい時に楽しいと思えることに罪悪感を感じないようになりたいです
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