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寝台特急サンライズ〜多様な魅力について語る

はじめに


夜の間に出発し、目的地に朝に到着する。
この移動手段を聞いて多くの人は、「夜行バス」を連想するだろう。まず「寝台特急」とイメージする人など現代ではほぼいないはずだ。
しかし2000年代までは東京や大阪と各地を結ぶ夜行列車、横になれるベットを備えた寝台列車系統が比較的多く存在し、毎日運行されていた。
ただ乗車率が低かったり、新幹線の開通で並行在来線が廃止されたりでどんどんなくなっていった。
いま毎日乗れる寝台列車は1つ(2系統)しか残っていない。
その1つが寝台特急サンライズだ。

寝台特急サンライズとの出会い

ボクは学生時代、JR新大阪駅の駅1階のコンビニでバイトをしていた。
外に出るとホームが見える。
コンビニは25時までの営業。夜間シフトに入ると、24時半過ぎに店の外に出て、シャッター閉めなど店じまい作業を行う。
その店じまい中に決まって、新大阪駅のホームを東に向かって疾走していく列車が見えた。
当時まだ走っていたブルートレインと異なる、ベージュ色の明るい色基調。2階建ての長い編成。窓から漏れる橙色の柔らかい光が印象的だった。
「何の電車だろう?」
調べたら寝台電車らしい。

よく夜間シフト後にバイト仲間で、溜まり込んで喋って夜明け前に帰ることがあった。
朝の4時すぎ。しらけはじめた空。
新大阪駅西側の線路をまたぐ歩道橋を渡りかけるとあのベージュ色の列車が西に向かって走り去っていく。東京から走ってくる下りのサンライズだった。
当時は大学生でお金がなかったし、乗ろうという発想にはならなかった。
ただ、静かに眠る街を無言で疾走していく独特のフォルム・雰囲気がやけに格好良く思え、印象に残った。

社会人になって〜単身赴任で使用

転職して2社目。ボクが東京に異動して単身赴任が始まる。
2週間ごとに週末帰阪して、週明け始発の新幹線に乗り東京に行く。そんな生活がはじまる。
ただ仕事の予定上、始発の新幹線では間に合わないことがあった。
滞在時間を増やせないか考えていたら、上りのサンライズなら大阪24時半に出て東京に7時に着けることがわかった。
「あのバイトのときに駆け抜けていったヤツか…」と思い出す。
みどりの窓口で指定を取り、はじめて個室寝台を使用した。
終電間近の日曜日の深夜のホームは静かだった。

ぽつんと表示される発車案内


寝台特急の響きに、待つボクは童心のようにワクワクした気持ちになった。
新幹線を待つときにはまず味わうことのない高揚感だ。
待っていると、あのとき見た大きなベージュ色の電車が静かに滑り込んできた。

大阪駅に入ってくるサンライズ号


木目調の車内はカジュアルでありつつ落ち着きを感じた。
カプセルホテルをふた周りくらい大きくしたような、大きな窓のある個室は清潔感があり、居心地が良かった。
部屋のバリエーションは6つあり多様なニーズに応えている。

寝台個室(B寝台シングル)


2階建ての個室は見晴らしが良い。静まり返った大ターミナルの大阪駅を見下ろし、滑るように発車していく。
寝静まった深夜の街をサンライズは駆ける。窓の外には点々と家々の明かりが星のように灯る。独特の高揚感があり、最初の乗車時はなかなか寝付けなかった。
サンライズは単なる移動を旅に変える魅力があるなと感じた。何より時間帯的に非常に便利だなと思った。

新潟県との単身赴任

ときが経ち、環境が変わり今度は兵庫県姫路市と新潟県燕市との単身赴任がはじまった。
鉄路で約900km。地方都市から地方都市。
空路を使うにしても、便数は多くない上に、両都市ともに空港から1時間以上の距離がある。
大阪東京間と比較すると、交通の便が格段に悪く気軽に行き来しにくい。
どうしたら滞在時間を増やせるだろうかと考えていたら、新潟から夜19時台の上越新幹線で移動すると東京22時発の下りのサンライズに乗り継げることがわかった。
下りのサンライズは姫路に翌朝の5時過ぎに到着する。
寝る間に移動でき、時間を有効活用できる。
幸いなことに、所属企業の単身赴任手当は支給範囲内の費用で対応できた。
毎回とは行かずとも、サンライズは日常的な移動手段として頻繁に使用することになった。

愛されるサンライズ

特にボクが乗る金曜日の東京からの下り便は、旅に出る人が多く乗車する。家族連れ、友達同士、一人旅と老若男女…旅模様、乗車する人も多様でさまざまだ。
ホームにサンライズが入ってくると、多くの人が写真を構える。島根県へ、四国へ。旅の始まりを嬉しそうに乗車していく。乗り込んだ子供が家族と笑い合う。ミニロビーで大人がお酒を片手に語り合う。
出雲への縁結び旅なのか。女子旅も多い。そんななか、単身赴任の少し哀愁をはらんだボク。
サンライズは旅の楽しさ、哀愁、移動手段、家族の思い出、一人旅。多様な人の思いを包み込むような電車だなと思う。
色んな人間模様や想いを乗せて、満席の電車は夜の眠りから朝の目覚めに向かって時間、喧騒から静寂、都会から海、山と多様に移り変わる車窓を共有しながら駆ける。

寝台列車って独特な空気感をまとっているなと思ったし、ボクは虜になっていった。

夜に駆ける車内で

新潟への着任は、プライベートとしても仕事面としてもボクの意向に沿わない人事だった。正直に言うと悔しかった。
慣れない業務は、しんどかった。
夜の街の車窓を見ながら、様々なことをぼーっと考えた。
窓のカーテンを閉め切り、照明を消すと、真っ暗な個室内に列車の走行音だけが響く。
規則的なリズムを刻む走行音は1つの音楽のように聞こえる。子守唄のように。揺れに体を任せているうちに眠りに落ちる。ふと起きてカーテンを少しあけると、見知らぬ街を走行している。

不思議なことに、機械である電車なのに何かボクは人であるかのようにサンライズに感情移入をしてしまうことがあった。
みんなが寝静まっている夜に、人知れず駆ける走行音を聴くと「頑張っているなぁ」なんて電車に対して思ってしまう。
朝になり電車を降りると、「夜通しお疲れさま。東京から遠路はるばるよく走ってきたね。」と言いたくなってしまう。

朝の景色

下り便に乗車した時。朝はたいてい、4時過ぎ。大阪手前で目が覚める。正確に言うと、見たい景色があるから起きる。淀川を渡るころに窓のカーテンを開ける。サンライズから見る夜明け前の淀川は美しい。四季、晴雨でも表情は違い、夏になると日の出をこのあたりで迎えることになる。

夜明け前 淀川を渡る(5月)


下り便のサンライズは大阪駅で運転停車をする。上り便と違いドアは開かず乗降はできない。
普段大勢の人で賑わう大阪駅は人がおらず静まり返っている。この非日常的な景色もなぜか毎回見たくなってしまう。

人がいない大阪駅 28時半

大阪駅を出て神戸の市街地を抜けると、須磨の浦、明石海峡大橋が車窓に広がる。この光景が見られるので、ボクは進行方向左側の個室を好んで予約していた。

海を横目に駆け抜ける(5月)

海が見えなくなると約30分で夜明け最初の停車駅の姫路に着く。 
5時半前。朝の静寂なホーム。

夜明けとともに(姫路駅)

お見送り

姫路駅を出ると、サンライズは左側にカーブをして高架を降り岡山方面へと走っていく。
高松、出雲市のゴールに向けて行程残り3〜4割。「あとひと頑張り。」といったところか。
毎回ボクは姫路で降車すると、巨体をクネクネとさせながら走り去っていくサンライズの姿をテールランプが見えなくなるまでホームで見送る。1つの作法のように。

姫路駅での見送り

サンライズを姫路駅で降り、ボクは日常に帰っていく。
そんな単身赴任生活だった。
移動手段、空間としてもお世話になったし、ボクの乾いた単身赴任生活を彩り、癒やしてくれた。そんな特別な電車だったと思う。

家族で乗車

単身赴任が終わり、家族での移動手段としても何度か乗車した。
寝台列車に子供二人を乗せると大喜び。 
やはり独特の高揚感がある空間だと思う。何より個室なので、子供が少し騒いでも大丈夫だし新幹線で移動するより遥かにラクである。

サンライズツイン(大人2人用個室)

なぜ寝台列車はこんなに気持ちを高揚させるのだろう。
本当に不思議である。
確実なのは、子供にとって間違い無くこの乗車が強く印象付けられたということだ。新幹線ではこの感覚は絶対に味わえないだろう。
これらが、「旅情」と表現される言葉なのかもしれない。
少し辛かったボクの時代は、そんなサンライズで感じた旅情、様々な車窓、旅の風景とともに多少なりとも緩和されているような気がする。
サンライズ=日の出である。
夜から朝に向かって走るサンライズのように、ボクの人生もいつか日の出になれば。
朝が来ることを信じて、夜の闇を突き進まなければなぁというような思索にふけったりした。

多様な心模様と車窓が繋がって…

多様なボクの心模様に棲み着いたサンライズ号。サンライズの多様な車窓とその時々で考えたことが1つの景色のように紐付けられて、曼荼羅のように次々と水滴が滲むように思い出される。
サンライズはボクにとって特別な列車であることは間違いない。

孤高に夜を駆けつづけて

サンライズは令和のこの日本にのこされた唯一の定期夜行列車となった。
きょうも深夜の東海道を孤高に"ひとり"駆けている。多様な人の想いを乗せて。

2020年からの例の騒動で、JRの業績は苦戦が続く。
JR東日本、東海、西日本、四国の4社が運行に絡む旅客列車はこのサンライズ以外にない。
切符発券の手間もあるし、トラブル時の他社との連携、深夜運行で夜間保守のやりくりなども大変だろう。
(各youtuberに取り上げられることも追い風となってか)乗車率は好調なものの、1998年に建造された現行車両に対しての新車の計画も発表されていない。

ハードルは高いだろうが、ずっと深夜を駆けるこの列車が存続してほしいなと願う。多様な人の人生が乗った一夜を、1つの列車が、2本のまっすぐ伸びた鉄路を夜通し朝に向かって孤高に走り抜く。ここにボクは無性にロマンのようなものを感じてしまう。
そして極力乗って残したいなと思うのだ。

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