四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑩〜あとがきにかえて
あとがきにかえて
景色も単調な、人もいない道のりを1人で100㎞走れるだろうか。
ルームランナーで100km走に1人で挑戦しようとする人はほぼ皆無だと思う。
だとして、景色は美しいが、人もいない道のりを1人で100㎞走れるだろうか。
四万十川のコースであったとしても、エイドの水分補給、食事が全て人の手ではなく、ロボットなどで自動的に補給されるとしたら。
最後まで走れるだろうか。力は湧き上がってくるだろうか。
いずれも難易度は遥かに上がるのではないだろうか。それこそよっぽど変わった人、鍛錬した人でなければ無理かもしれない。
四万十川という場所もそうだが、
何よりもボランティアの方々の支援、地域の方の温かい声援、ともにフィニッシュを目指すランナー。関わる人間の力。氣持ち。
これらの全てと自分の力が合わさって、私の中に眠る力を引き出してくれる。
四万十川の起伏のある、時として厳しく、時として美しいコース。
景色を見て勇氣付けられる。
自分の感情の起伏。弱音、本音、内面と向き合い一歩一歩前に進んでいく。
エールの声を送られることで「もう少し頑張ろう」と思う。
共にゴールを目指すランナーを見て「俺もあの人のように頑張ろう」と思う。
給水や給食地点のほんのしたやりとりで伝わってくる温かい心配り。
それらの集大成により、100㎞という道のりを進み切ることが出来るのだと思う。
また、あのフィニッシュ地点も
フィニッシュを心からお祝いしてくれる雰囲氣があるからこそ
遠い道のりを凌いで、辛抱してゴールしたい。
何としてもあの会場まで行きたい。
そう思わされる。
だから途中のしんどい道のりを頑張れる部分も間違いなく大きいと思う。
そのことで、自分自身が普段出会えない自分に出会えるというのだろうか。
自分の思っていた限界を超えていけるのだろう。
「一人の力で」「自分の努力」それだけでは決して走り切れない。
掛けられた言葉、そこで見た景色、してもらったこと。
一つ一つが自分の背中を押してくれていることを忘れてはならない。完走できた余韻が未だ残る中、私はそう強く感じる。
今回の完走も、色んな方々の協力あって成し遂げられたことだと思う。
特に中盤の粘り、最後のスパートなど普段の自分からは信じられない力が出たと思う。
色んな力が合わさっての完走。
そうした経験がまた日々自身が生きていく中での無形の力。宝物になる。
そんな氣がする。
「40歳になってもこんなに感動できるんだな。
これだけ氣持ちを振り絞れるんだな。やり切るってこんなにも達成感があるんだな。」
今回走ってみてそう思ったし、20代でやるより歳を重ねてからこうした体験を持っていく、常にチャレンジしてみることが、とても大事なんじゃないか。そう心から思う。
こんな非日常体験はお金で買うことはできないし、TVゲームや、ギャンブル、お酒などでは得にくいだろう。
私の記録は客観的に見て、ウルトラランナーとして速いかというとそうではない。
むしろ遅い方だろう。
練習量も私よりも練習する人などいくらでもいるだろう。
「ウルトラマラソン完走」をテーマに書かれている他の方の文章、YouTuberを見ても、タイムでは及ばないものの方が遥かに多い。
「よく、そんなサラッと走れるな…」読んでみてそう思うことが殆どである(笑)
そんな私ごときが「ウルトラマラソンの完走記」を長々と語っていいのか。迷った。
おこがましいのではないか。と。
何より私は純粋な区分から言うと、ランナーでは無いのかもしれない。
何せハーフマラソンの完走歴はあるものの、フルマラソンの大会の出場は無い。
ウルトラマラソン60㎞、100㎞
それも四万十川ウルトラマラソンにしか出走していない。
1年にエントリーする大会も、ほぼ四万十川のみでありそれ以外はコンスタントに走っているわけではない。
「四万十川ウルトラマラソン」だから走りたい
なにか一年に一度の「お祭り」のように、一年のこの日を目指して取り組みたい。
少なくとも私にとっては、そう思わされるものがこの大会にはあるのだ。
私の完走体験。
素人に近い目線で、細かな心理描写や失敗したレースのことも語ることで、少しでも私が惚れた四万十川ウルトラマラソン、競技の魅力が伝わればと思った。
「自分も出てみようかな」「何か始めてみようかな」
一人でもそんな人が生まれたなら良いなって。
この大会でFINISHERとなれた感動や、体験を余すことなく伝えることが「四万十への恩返し」だと考えたのだ。
結構、ランニング趣味の人は寡黙な人や、ランニング体験記も心情は淡々と綴る人が多いと思う。
あるいは苦しさや内面の葛藤を徹底的に隠して振る舞うか。(つとめて明るく振る舞うのも含め)
それも良いのだが、それでは競技の本当の魅力や大会の魅力、本質は伝わって行きづらいのではと。
そんなことを考えた経緯もある。
「しんどいのに何が楽しいの?」
「何考えてるの?」
そこに対して一つ一つ答えるような、場面場面を描写したエッセイのような、クドいくらいの完走体験記があっても良いのではと思ったのだ。
(私自身、中学校時代は陸上部に所属し長距離をしていた。そこに折角好きな人が興味を示し、入ろうかなと言ってくれたのにも関わらず、中々中長距離の魅力を上手く伝えることができなかった。そんな苦い経験がある。結局伝えない、伝わらないものは無いものと同じである。)
2010年。私が初めての出場でリタイア・DNFとなったとき。
いつかはこの大会の100㎞の部をFINISHしたいと思った。
振り返ってみて、その氣持ちが湧いたのは単なる悔しさだけではなく、走り切る人、コースの景色、運営する人(ボランティア・スタッフ)など
大会そのものに漂う魅力に惹き付けられたことも大きいのだと思う。
この体験記を通して、毎年大会を支えてくださっている方に改めて御礼を申し上げたい。
今年ようやく完走できたが、また来年も出たいと今から思っている。
今度は、今回より1時間ほど早い11時間台での完走。
出来るなら明るいうちにフィニッシュをしてみたい。
そして、今までは背中を見て引っ張ってもらった。ボランティアの方に引き上げられた。
そんな走りだった。
今度出場する際は「どちらかといえば引っ張る側」になり、「より感謝や元氣を伝える」
見てくださる人が「挑戦してみたい」
そんな何かが伝わる走りをできたらなと思っている。
私のように四万十川ウルトラマラソンの魅力に取りつかれている人は少なくないだろう。
参加した者がその魅力や体験を言葉にして伝え、感謝を表明することで大会は続き、更に発展していくのではないだろうか。
その積み重ねが、もしかすると地域の振興にも繋がるかもしれない。
微力でインフルエンサーでも何でもない私であるが
この体験記が、そのほんの一滴、一波紋にでもなれば幸いだと思う。
この大会がずっと次世代に引き継いでいかれるもの。語り継がれる。よりよいものになることを祈って。
大会創設者の方、地域の方をはじめ大会を創り上げている全ての方々にあらためて敬意を表明するとともに、感謝申し上げます。
(完)
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