継承問題から時代背景を覗く

元旦の日経に、「皇位継承危機が問うもの」という記事がありました(リンクは有料会員限定)。これがなかなか読ませる記事で、多方面に思考が飛んでいきました。

これまで例外なく男系で継承されてきたものの、それが明文化されたのは明治時代でしか無いという。そしてこれまで明記されてこなかった背景には、”男系”よりも”直系”があるという。

古今の天皇の最大の使命は皇統の維持だった。男系というより、直系意識が強く、それゆえ皇統が2つに分かれた南北朝の争乱が起きた。直系継承の確率を高めるため、各時代の天皇は多くの子をなすことに努めた。50人以上の子女をもうけた平安初期の嵯峨天皇はじめ、20~30人の子があった天皇は数多く、側室制度があれば可能だった。一方、女性天皇では生理学上限界がある。側室制度が存在した時代、男系継承は合理的選択だったのではないか。男系が天皇の原理か、合理的選択の結果なのか、丁寧に検証すべきだろう。側室制度というかつての枠組みが失われた現在、男系継承の合理性は失われている。

よく時代劇で正室・側室が描かれるけど、本質ってまったく分かっていなかったと気づかされる。

ここにしれっと書かれている南北朝は、北朝と南朝が併存したけれども、最終的には北朝が南朝を吸収合併したものです。でも「父が子に語る日本史」には、「天皇が自分で政権を握っていた南朝の方が、幕府の将軍に政治を任せきりにしていた北朝よりも、はるかに本来のあり方に近いことになります」と書かれています。

そう言えば、「長山靖生『不勉強が身にしみる-学力・思考力・社会力とは何か』が身にしみる」には、次のようにあったっけ。

日本の歴代天皇表では、建武の新制以降の南北朝時代では南朝(後醍醐天皇系)の天皇が取られているが、これは南朝を「正当」とする思想的な操作が関与している。

この分野もまだまだ知識が断片的です。

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