20180918の読書
今、noteを書こうと思って机を片づけたら、昨日届いた本を開けることになり、『美濃』(小島信夫)を手に取ることになり、解説が保坂和志なので読みふけってしまった。
小説とは何か?という問いに対して、私は保坂・小島を辿ってみようと思っている。
昨日の読書は小説ではなかった。
『マルクスを再読する』(的場明弘)は、難しくていつ挫折するかというスリルと背中合わせだ。
さらさらっと読んでしまったら、数ページ後に戻る羽目になるのがわかっているので、徐行運転のような心境で読んでいる。
ネグリの帝国に続いてアルチュセールの章になると、スピノザの話になった。
スピノザのことは、よく知らない。
知らないので『理解しやすい倫理』を引っ張り出してきてスピノザの項を読んだが、ちんぷんかんぷんであった。
というよりも、『マルクスを再読する』の中で語られるスピノザのほうが、まだその哲学をとらえることが可能だと感じる。
教科書的な記述の弱点は文脈の弱さだ。
わかったようなわからないような記述は、考えながら読むことによって、わからない記述だとわかる。
『サピエンス全史』は、認知革命の章を読み終えた。ホモ・サピエンスが大型生物の絶滅の犯人だったという話は、刺激的だ。
そして、農業革命は、最大の詐欺だという。
なんとも知的好奇心を刺激される本である。
この文章を、ブログに書いたらどうなるのだろうか。試してみたい。