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#30 麻痺してゆく

大学生活を振り返って、周りの人間関係とかを見渡すとよく思うのが、
「麻痺しているな」っていう感覚だった。
同サークルに元カノと今カノが共存するみたいな気持ち悪い世界がどこかしこに広がって、みんな淀んだ毒に浸かって麻痺していく。
特に演劇サークルがそういう世界で、私はもう一方の世界であったボランティアサークルによく救ってもらった。麻痺が進まないままで4年間寄り添ってもらった。

悪口や噂も酷かった。
本音を言い合わない生温い嘘の世界で、みんな愛想笑いを繰り返して心を重くして最終日に朝まで酒を飲み、心を通わせあった幻想を抱いた。

私は勿論演劇が好きだったけど、それぞれ弱いままでそれを相手にぶつけて傷つけて、みたいに。一向に沈みゆく穴から這い出そうとしない人たちには幾度も幻滅した。哀しかった。

生きるのに必死でも、弱いままで他者を傷つけるままで良いというのは絶対的にありえない。そんな権利は人間には与えられていない。

私は麻痺する前に淀んだ地獄から這い出して、好きな人だけでも余計に穴へ沈まないようにと手を伸ばしていた。でも好きな人たちにも、話してもらえていなかった側面がたくさんあったりして…。
弱さや醜さは隠そうとする、当たり前だけど。
人を救えるというのは夢のまた夢であることを知った。

みんな酔うと口を揃えて言っていた。
「いつからこうなったかな」「昔はもっと俺だって、私だって…」
大人になるとは、思い切り弱くなることだ。
でも同時にその弱さを自分で責任持ってどうにかすることだ。

とにかくその人がいないところで平気で揚げ足をとったり悪評を広げたり、なんてものすごくたくさんあって、嫌煙家を罵倒しながらタバコを吸い…
大好きで、大嫌いな奴らだった。

最近もう少し自分本位になろうという気持ちが芽生えてきた。
勿論夢に向かう上での話で、最近のバランスを崩した私は自分と対峙するのをしばし恐れて無駄に他の人に時間を割く傾向があったからだ。
自粛期間はたくさん苦しんで乱れて躁鬱を繰り返すけど、自分と向き合い直すよい機会ではある。頑張りすぎずに頑張っている。

絶望に飲み込まれても、人を傷つけたり利用して良い理由にはならない。
それだけを守っていれば、神は結構見捨てない。
でもそれができない瞬間に、神はすぐに制裁を下す。
これまで生きてきてはっきりとわかることだ。
今目の前の、利用しようとしている相手が優しい場合、きっと相手は「傷つけても良いよ」という態度をとるだろう。でもそこで甘んじて傷つけてしまったら、金輪際神は君を救えない。
お願いだから、よく覚えておいて。

悲しい事故や事件が起こるたびに、善良な人が犠牲になるたびに、
そして自分の手の中の生活がひどくそれでも実は優しい心を持つ時、
しばしば神なんていないと思うだろう。

でも実はものすごくはっきりと、そこにいるのだ。
そして全てはなるようにしかならない。

まだ遅くないから、麻痺したあの子たちがどうにか神を取り戻すようにと、願いと祈りは続いていく。

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