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カールマルクスが渋谷に転生した件 41 マルクス、クリスマスを祝う
マルクス、クリボッチは避けた
「何かがおかしい」
渋谷のスクランブル交差点で、マルクスは立ち尽くしていた。
目の前では、等身大のトナカイの形をした電飾が瞬きを繰り返している。頭上では巨大なサンタクロースが不敵な笑みを浮かべ、ビルの壁一面には「クリスマスセール」の文字が踊る。
「完全におかしい」
マルクスの髭が怒りで震え始める。
「これは、これは...」
髭の震えが増幅する。
「これはいったい何なんだーっ!!」
突然の絶叫に、待ち合わせ中のカップルが飛び上がる。
「落ち着いてください、マルクスさん!」
さくらが慌てて駆け寄る。
「落ち着けというのか!?」マルクスの声が裏返る。「見たまえ、この光景を!キリスト教国でもない日本で、なぜキリストの誕生を祝う!?しかも、この...この...」
マルクスの言葉が詰まる。街頭ビジョンでは、サンタ姿のアイドルグループが新作ケーキのCMに興じていた。
「このふざけた商業主義を!」
「あの、その...」さくらが周りの視線を気にしながら。「そんなに大きな声で...」
「そもそも私は宗教をアヘンと呼んだ!」マルクスは止まらない。「しかし、これは...これはもはやアヘン以上の...」
「マルクスさん、人が見てます...」
「見るがいい!」マルクスが周囲を指差す。「この商品の物神性の極地を!かつて宗教は民衆の想像力を搾取した。しかし今や資本が、宗教すら商品として搾取している!なんという弁証法的アイロニー...」
「あ、ひかりちゃんからLINEです」さくらが必死で話題を変えようとする。「ケーキの予約について...」
「ケーキだと!?」マルクスの声が再び裏返る。「なぜクリスマスに、このショートケーキなるものを!?しかも白い!円形の!これは明らかに...」
「とりあえず、スクランブルスクエアに行きましょう」さくらが腕を引っ張る。「ひかりちゃんが待ってるんです」
人混みを歩きながら、マルクスのブツブツは止まらない。
「待て、あの靴下は明らかに実用に適さないサイズだ。装飾用?バカな!靴下とは足を温めるための...」
マルクス、推しからプレゼントをもらう
スクランブルスクエアの入り口で、サンタ帽を被ったひかりが首を傾げていた。
「やっぱり、どこもケーキの予約が...」
「おや?」マルクスが不思議そうに。「君までこの狂騒に?」
「いえ」ひかりが眉をひそめる。「私も全然意味わからないんです。なんでみんなこんなに必死なんだろうって」
「同志よ!」マルクスの目が輝く。
巨大ショッピングモールの中は、まさにクリスマス狂想曲。
「いらっしゃいませ!カップル限定割引です!」
「プレゼントお探しですか?」
「特別な夜を演出する限定アイテム!」
「この『限定』という言葉」マルクスが唸る。「希少性の演出による価値の人工的創出...まさに資本論で私が...むむ?」
巨大なクリスマスツリーの前で、カップルたちが自撮りに興じている。
「なぜ彼らは己の姿を撮り続ける?しかもその笑顔は...待て!これは明らかに作られた表情ではないか!」
「インスタ映えっていうんです」さくらが説明を試みる。
「インスタ...映え?」マルクスの髭が混乱で震える。「己の生活の一瞬を切り取り、理想化され加工された映像として発信する...これこそまさに、現代の疎外の...」
「マルクスさん、そっちは女性下着売り場です!」
さくらが慌てて制止する。
「むっ」マルクスが真っ赤になる。「しかし、なぜサンタクロースの衣装であんなにセクシーな...いや、これも商品化された性の...」
そこへLINEの通知音。木下からのメッセージだ。
『実は、サプライズを準備してます。19時に、ゲストハウスに来てください』
「サプライズ?」マルクスは首を傾げる。「またしても消費を強いられるのか...」
「あ!」ひかりが書店を指差す。「ちょっと寄っていきませんか?」
棚には恋愛本の山。
『クリスマスまでに彼氏を作る!』
『運命の相手と巡り会うクリスマスデートプラン』
「ちょっと」ひかりが眉をひそめる。「なんでクリスマスに恋人必須みたいな...」
「そうだ!」マルクスが声を張り上げる。「若者の純粋な感情まで、資本は商品に変えようというのか!かつてジェニーと私は...」
マルクスの声が急に柔らかくなる。
「妻のジェニーとは、質素ながらも心温まる時間を...」
「奥様のことを?」さくらが優しく微笑む。
その時、ひかりがそっとマルクスの後ろに回り込み、何かを髭に装着する。
「むっ!?」マルクスが慌てて鏡を覗き込む。「な、なんだこれは!?」 髭に付けられた小さなキラキラ光るリボンに、マルクスの目が点になる。
「これは資本論の著者の威厳に関わる...しかし、これを取ろうとすると髭が...むむむ」
「可愛いじゃないですか」さくらも笑う。「きっとジェニーさんも喜びますよ」
「うむ...」マルクスは意外と嬉しそうに髭を撫でる。
そこへ再びLINE。今度はケンジから。
『そろそろゲストハウスに来てください!絶対びっくりしますよ!』
「まったく」マルクスは呟く。「この資本主義的クリスマスというものは...」
しかし、ゲストハウスに着いた時、マルクスの文句は途切れた。
マルクス、楽しむ
離れに足を踏み入れた瞬間、マルクスは言葉を失った。
手作りのケーキ、質素だが心のこもった料理。小さなツリーには、みんなからのメッセージカードが飾られている。木下、ケンジ、堅木、そして西野まで集まっていた。
「メリークリスマス!」
「これは...」マルクスは目を見開く。「まるで、かつてロンドンで、亡命者たちと過ごした夜のよう」
「料理は私が作りました」さくらが照れ臭そうに。
「ケーキは試作を重ねて...」ひかりが続ける。
「装飾は堅木さんのアイデアです」木下が付け加える。
「諸君...」マルクスは珍しく言葉に詰まる。
「さくらさんから聞きましたよ。今日のマルクスさんの商業主義批判は」西野が笑う。「全くその通りです。でも、だからこそ私たちは...」
「本当の意味での祝祭を取り戻そうと?」マルクスの髭が誇らしげに震える。
「理論家のマルクスさんなら」堅木がワインを注ぎながら。「これを『商品形式への抵抗』と呼ぶんでしょうね」
「いや」マルクスは静かに微笑む。「今は理論はいい。ただ、かけがえのない仲間との時間を...」
「えっ!」ケンジが驚いた声を上げる。「マルクスさんが理論を封印!?」
「むむ」マルクスは慌てて髭をいじる。「いや、しかし、この手作りケーキの使用価値と、デパートの商品としてのケーキの交換価値を比較すると...」
「はいはい」さくらが遮る。「その話は来年で!」
「来年?」マルクスの表情が曇る。「いや、今ここで大事な理論的問題が...」
「マルクスさん」全員が声を揃える。「とりあえずケーキ食べましょう!」
離れには暖かな笑いが響いた。髭にクリームをつけながら、マルクスは考える。確かに商品の物神性は、この狂騒の世界に充満している。しかし、人々が作り出す小さな結びつきは、どんな時代でも消えない。
「ところでマルクス」西野が意地悪そうに笑う。「髭のキラキラリボン、外さないんですか?」
「むっ」マルクスは真っ赤になる。「これはその...クリスマスという特殊な状況における...」
窓の外では、渋谷の喧騒が続いていた。しかし、この小さな離れの中で、本当の意味でのクリスマスが静かに息づいていた。
...もちろん、マルクスの「日本のクリスマス文化論」は、夜が更けるまで続いたという。