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小説「西成のチェ・ゲバラ」序 伝説の革命家が、日本に蘇る 

「落ち着け、そしてよく狙え。

お前はこれから一人の人間を殺すのだ。

お前の目の前にいるのは

英雄でも何でもないただの男だ。

撃て!臆病者め!!」


1967年10月9日、ボリビア・ラ・イゲラの谷間に、銃声が木霊した。

冷たい風が吹き抜ける小学校の教室で、チェ・ゲバラは自分の命が消えていくのを感じていた。傷だらけの体には、もう力が残っていない。それでも彼の目は、最後まで誇り高く開かれていた。

「ここで終わりだ...だが、革命は終わらない」

最期の瞬間、彼の脳裏をよぎったのは、数え切れないほどの顔たちだった。
キューバの密林で治療した少年たちの笑顔。
カメラのファインダー越しに見た、希望に満ちた民衆の表情。そして、カストロとの出会い。
まだ見ぬ革命の夜明け—。

彼は暗闇に沈んでいく。
そして—。光。

湿った空気が肺に染み込む。喘息の発作が軽く出かかるのを、ゲバラは感じていた。

目を開くと、そこは見知らぬ路地裏。錆びた非常階段、剥げかけた看板、早朝から酒を飲む男たち。どこか見覚えのある風景なのに、どこか違う。

路地の光景に目を凝らしていると、指が無意識にシャッターを押していた。まるで体が覚えているかのように—。首から下がる古びた「ライカ」のカメラが、確かな重みを伝えてくる。

日雇い労働者たちが三々五々、仕事を求めて歩いていく。彼らの背中は、かつてキューバで見た農民たちと同じように屈んでいた。だが、ここは密林でも草原でもない。

「ここは...」

路地の角には、手書きの求人票。「寄せ場」という見慣れない言葉。道端では、段ボールを敷いて横たわる老人たち。その横を、スーツ姿のサラリーマンたちが無表情で通り過ぎていく。

電柱を見上げると、そこには「大阪市西成区」という住所。「大阪?まさか、ボリビアから日本まで運ばれたのか?一体誰が…」
傍らには使い古された医療鞄。なぜこれらがここに?

捨てられていた新聞が目にとまる。「2024年だと…?そんな馬鹿な。私は確かに1967年にボリビアで…」

立ち上がると、体の感覚が少しずつ戻ってきた。確かに撃たれたはずなのに、傷一つない。しかも、57年前の記憶は鮮明なままだ。

朝もやの中、西成の街が姿を現す。簡易宿泊所が立ち並ぶ通りには、システムの裂け目から零れ落ちた人々の気配が満ちている。貧困、疎外、そして何か—説明のつかない緊張感。それはキューバやボリビアとは違う形をしていた。

ゲバラは立ち止まり、深いため息をつく。ここは1959年に訪れた大阪とは、まるで別の世界だった。

彼は歩き出した。目的地もなく、ただ朝日に照らされた釜ヶ崎の街へと—。


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