スイッチを切って完全オフにした
ここのところはっきり自覚するほど調子が悪い。朝起きても目覚めは悪いし、ひどいときは二度寝を余儀なくされるほど疲れている。どうした、私。これって噂に聞く冬季鬱ってやつかな?そこまでではないにしても、心情的にはほぼロックダウンなのでその影響なのかもしれない。
やらなければいけない仕事もあるにはあるが、集中力は限りなく低いし、集中したところで結果が返ってこない。よくないループである。しかもコロナ関連のニュースを追いすぎたし、世間も荒れ模様だ。そんなささくれ立った雰囲気に飲まれているのだろうか。
今朝、起きた時にふと思った。このモヤモヤとグルグルを断ち切らねば先に進めない。無理せず、今日は好きなことだけをしよう。
自らの手で自らのスイッチをパチン!と切った。
もうなんだか色々と面倒なことが多すぎるからだ。
だから今は14時半を少し回ったところだけれど、メールには返事もしなければツイートも窓から覗いて見えた雪景色を上げただけでやめにした。
はい、もう今日は考えるのをやめましょう。
そんな気分。
NETFLIXで鬼滅の刃を一気に最後まで見て、簡単なお昼にし、今度はゲーテの詩を読んで好きな曲を聴きながらこれを書いている。
ゲーテの詩を読み終わったタイミングで、息子から連絡が入る。今日は何も予定がないので友達の家にいくんだそうだ。子どもから連絡が入ったり、彼らが帰宅するとスイッチが一瞬だけ入る。外の世界(=社会)との繋がりは子どもがいるからこそ成り立っている、そんなことを思ったりもする。もちろん仕事もそうなんだけれど、仕事は現実的ではないにせよ自分でやめようと思えばある意味いつでもやめることができる。ただ、育児はそう簡単にやめられるものではない。
あれ?呼び鈴がなっている。息子かな?
家に何かを取りに返ってきたらしい。また我に返る。公園に雪が積もっているからソリができるように着替えに戻ったのだ。さすが子ども。雪が降ったらテンションが上がるのだ。ちょっと、というかかなり羨ましい。そういえば、昨年もロックダウンだったが友人を誘って気分転換にソリで遊んだのを思い出した。遊んで気分転換をするのは大事なのだ。
もしかすると、最近「遊び」の要素が生活に欠けているのかもしれないな。
娘が帰る時間までは後30分足らず。
ピアノでも弾こうか。
結局、メールには急いで返事をしておいた。やはり完全オフにするのにも強い精神力が必要らしい。ツイッターでスペースも少し聞いてしまった。明日は普段通りに過ごそうと思う。
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完全オフを試みたのは昨日の話なんだけれど、結局やりたいことをやったら割とすっきりして、これまで書きかけでなかなか進まなかったブログも何とかまとめることができた。たまには先にやりたいことだけをして、気が済んでから仕事に取り掛かる、というのも悪くないのかもしれない。