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記憶とはかくも曖昧なものなのか

今日も小学校がないので朝はゆっくり起床。これだけは休み中の唯一楽な点なのかも。娘は起こさないとお昼前まで起きてこない。

特に予定も入っていないので、水回りの掃除や床拭きをして気分スッキリ。イースター休日前に少し食料品の買い出しにアジア屋さんまで行っておくことにした。

天気もいいし、特に急ぎの用事でもないので暇でグダグダになりかけの息子を連れてお店まで歩いて行くことにする。片道30分ほどの道のりだが、そういうと嫌がるので20分くらいかかるかな、ということにして出発した。

途中で壁公園(Mauerpark)を突っ切ってみる。壁公園も近年改修工事が終わり、とても気持ちのいい場所になった。トイレが設置されていないのが少し不便なくらいだ。

ピクニックするならどこがいいか、と息子と下見をしながら歩く。

あ、あそこの木のところがいいかな。でも、トイレがないな。どうしようか。

息子はかなり細かいところまで気配りができるタイプなのだろう。あれやこれやと考えながら歩いているのが面白い。

日当たりが良い公園にはすでに春の花が咲いていた。白樺の林のような場所もあるし、道も整備されているのでボードやローラースケートを楽しむ人の姿も多い。

特に公園の裏手はかなり手が入っており、新しいアパートも建っていたりと以前の面影はどこにもなかった。

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そういえば、以前、この辺りに住んでいたことがあったんだよな。

ふと思い立ち、住んでいた通りを歩いてみた。驚いたことに、どのアパートに住んでいたのか歩いてみても全く思い出すことができなかった。ベルリンに来てからかなりの回数、引越しをしたが、それぞれどこに住んでいたのかまだ覚えているところがほとんどだ。

なぜ、この家だけははっきりと思い出せないのだろう。色々理由になりそうなことを考えてみたが、ひとつには知人の間借り(Untermieter)でそれほど好きな家でも思い入れがあったわけでもないこと。もうひとつには途中で半年ほどモスクワにも行っていたこと。

1 クロイツベルク(1995)仮住まい
2 クロイツベルク(1995−96)WG
3 プレンツラウワーベルク(1996-1997)一人暮らし
4 シャルロッテンブルク(1997-1999)家族WG
5 プレンツラウワーベルク(1999-2001)一人暮らし→半年ほどモスクワ滞在
6 ヴェディング(2002-2004)一人暮らし
7 プレンツラウワーベルク(2004-2006)
8 ミッテ(2006ー)

恐らくこんな感じだったと思うが、当時の書類をひっくり返さないとどこにどの期間住んでいたのか詳しくは思い出せない。自分の住んでいるところにあまり興味がないのも原因かもしれない。今日歩いた際に探した家は番号で言うと5に当たる。

ベルリンに住み始めて最初の数年はそれはもう次から次へと住む場所が変わった。WGやらストーカー紛いの嫌がらせやら家族のようなWGやらでなかなか落ち着けなかったからだ。それに、当時は割とまだ簡単に引っ越しができたのだ。

今のアパートに住んでいる年数がなんだかんだで一番長い。次の引っ越しはまだまだ先のことになりそうだ。

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ベルリンのまりこさん
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