視点を少しだけ変えてみる

自分のことを自分だけで判断するのはなかなか難しい、と常日頃から感じている。

自分に何ができて何ができないのか、ということも「何ができないのか」になぜかフォーカスしてしまいがちで「何ができているのか」には目が向きにくい傾向にある。だから、人から教えてもらったできることリスト100のようなこともやってみようとした。

どちらかというと、自己肯定感が低い方なのかもしれない。

それはさておき、そういう傾向がわかっているからこそ、「あーだめだー」なんていう時は的確な指摘をズバズバと投げてくれる知人と話をするようにしている。

これができるんだから、こうしてあーしてみたらどうですか。

これができないんだったら、これとこれを勉強したらいいんですよ。

なるほど。3人よれば文殊の知恵とはこのことで、ひとりでは気付けないことや思いつかないようなことがどんどん出てくることがある。

そんなこと考えもしなかった!

やはり人間ひとりの見える範囲など所詮は狭くて限られているのだ。それでもそこに他人の視点が加わることで、見えなかったところに光が当たったり、できないことをカバーし合えたり、という作用が生まれる。

ひとりで黙々とストイックにやって効果が高いのはランニングや水泳なのであって、何かを生み出す作業には向いていないのかもしれない。

ここ最近、やっとそう思えるようになった。

自分の非力さを認めて、周囲に少しずつ助けを求められるようになった。

いい傾向だと思う。

これまでは自分の非力さには気付いているが、ひとりで必死にバタバタともがいて力尽きてバタンと勢いよく倒れるような感じを繰り返していたからだ。

画像1

若い時は倒れてもほぼダメージなしで割とすぐに起き上がれるのだが、やはりいい年になってくると、怪我をすることが増えた。文字通りバタンという感じに倒れるので当たり前だ。最後に倒れた時に、さすがにこれは危ないのでは、と思い始め、「無理をできない自分」というものも認識するようになった。こうなればもう人に頼らざるを得なくなる。

かっこ悪いとかいうより前に打ちどころが悪くてそのまま逝ってしまっては元も子もないからだ。守るべきものがあるというのに。

そんなわけで、人の相談には割と乗るが、相談に乗ってもらうのがとにかく苦手な私がこの人だ、と思う人にポツリポツリと話すように、話せるようになってきた。そうすることで、もっと早く話してみればよかった、と思うくらいきちんと話を聞いてくれて的確なアドバイスをくれる人が実は周りにいたのだ、ということに気がつかされた。本当にもうほんの少しよく周囲を見回してみればよかったのだ。

そんなわけで、今年もまだなんとか前に進むことができているし、バタン!と大きな音を立てて倒れることもなさそうである。

特に今年のような先行きの見えないコロナ禍では、周囲を見渡す余裕がなくなりがちだと思う。そんな時こそ、ひとりで抱えていないで誰かに助けを求めた方がいいのではないか、そんなことを思った。

ただ、それだけです。

*タイトル画像はみんなのフォトギャラリーよりtkrcsncnさんの作品をお借りしています




サポートは今後の取材費や本の制作費などに当てさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします!