近所をグルっと一周散歩してみた
今日はクリスマス。コロナ禍にもかかわらず近所は例年どおりひっそりと静かだ。ベルリンを離れて実家に帰っている人が多いということなのだろう。
路上駐車されている車もめっきりその数を減らしている。なんだかんだいいながら、ドイツ人はクリスマスを家族と過ごすのだろう。恐らくそういうものなのだ。
外は曇天で気温も低い。風が少し強いので体感温度も低めだ。
いつもの公園に行っても、ほとんど人影が見えない。犬の散歩をしている人がちらほらいるくらいだ。なんとも物寂しい様子である。
例年であればこのもの寂しさをカバーするようにクリスマスマーケットが街のあちらこちらで開かれているが、今年はそういうわけにはいかない。ただ、もの寂しさだけがそこにある、というのは言い過ぎだろうか。
そういう時にホッと一息つける場所といえば教会だろう。昨日のクリスマスイブには人だかりがしていた教会も今日はそれほどでもなかった。早速、中に入ってみる。ロシア聖教会のようなきらびやかな装飾もなく、とても質素で簡素な教会。これはこれでとても落ち着いたたたずまいが好きな教会だ。
特に行き先を決めているわけではなかったので、気の向くまま馴染みの近所を散策する。
カラフルなアパートを見つけたり、昔ながらのボロボロのアパートの前を通り過ぎたり。
オーガニックショップの店先に環境保護に関する旗のようなものが立てられていた。Klima Gerechtigkeit Jetzt(環境的正義を今)といったようなニュアンス。
ブティックのショーウィンドウにもコロナで打撃を受けている小売店を救え!といった趣旨のチラシが貼られているのに目が止まる。
散歩をしながらいつも思うのは、こんな風に街を歩いているだけで、その時の街の持つ空気感のようなものが拾えるような気がすること。
アパートの壁に吹き付けられたメッセージにも足が止まる。
クローズを余儀なくされてしまったベトナム料理店、「地元の商品を買おう!」と訴える張り紙、「Wir haben Platz!」(我々には場所がある!)とアパートの壁に吹き付けられたスプレーアート。
どれもあまり明るいものではない。当然と言えば当然だが、最近、場所によってはブティックのショーウィンドウが故意に割られていたりもする。
コロナ禍が長期化することで、街の雰囲気が目に見えて荒んでくるのが可視化されていくのが一番怖い気がするのだ。
3000歩くらいグルっと一周してみてそんなことを思った。後2000歩は歩いておきたいところ。Fitbitは楽しい。早く走ってログを取ってみたいなぁ。