共有できる人がいると言うこと②
母と夫の亡くなりかたについて、
ふたりともが自死だった、とはなかなか言えません。
友人のひとりには
高齢の父親を介護しているため
気を付けてあげてね、という意味も含めて
母のことを話しました。
別の友人には、仕事のこともあり、
夫のことを伝えたうえで、
葬儀を含めた対応などを相談しました。
この友人たちは、
まさか二人ともが自死だなんて、
これっぽっちも思っていません。
わたしも言ったところでどうなるの?
そう考える自分がいます。
どちらかというと、
それは面倒くさいという言葉のほうが近いかもしれません。
ふたりのことを話したとしたら
どんなだろう。
きっと、
友人たちは私へかける言葉を一生懸命さがすのだろう
友人たちの表情は?
そのあと、
きっと私はふたりに対して気を遣うことになる。
やっぱり、めんどくさいな…
そういえば
二人が亡くなってから
ホントに面倒くさいことがいっぱい!
亡くなってからの後始末
私や子どもたちは
気持ちの持って行き場がない
世間への対応で消耗する気力
精神的にまいってしまい、病院に通ったり
お薬がないと寝られなくなったり
お仏壇や法要も、
ふたりの宗派と亡くなった時期がすこしずれるので
四十九日と一周忌をそれぞれしなくてはならない。
文句のオンパレードです。
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いま
ブログを書きながら気がつきました。
2年たち
懺悔や後悔の重く辛い気持ちが
すこしだけ、
やわらいでいるかもと。
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