zabi

再生の道を歩む、自死遺族の生存証 毒親に育てられ自死遺族になった過去を持つなかで、自分の生きている意味をみつけていきたいと思っています。

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再生の道を歩む、自死遺族の生存証 毒親に育てられ自死遺族になった過去を持つなかで、自分の生きている意味をみつけていきたいと思っています。

最近の記事

来週はもう少しだけ楽になる

友人のご主人が亡くなったと聞き、お参りに伺いました。 私が夫を亡くした時、 人づてにそのことを聞いた友人は 心配して供花を抱えて家まで来てくれました。 あの時の彼女の顔が思い出されました。 1年ぶりに会った友人は やはり疲れている様子で 体調もよくないとのこと。 ただ、私に会いたかった、 電話しようかと思っていたとのことでした。 このいまの辛さを、 夫を亡くしたという同じ立場の私が どう乗り越えたのか知りたかったと 弱々しくも話していました。 実際 その死を乗り越えて

    • 共有できる人がいると言うこと③

      少し話がそれましたが、 娘には 母と夫のことを共有できる友人がいます。 私は会ったことはないけれど、 娘が気にかけている大学からのお友だち 実は彼女のお父さんも自殺でした。 そのことは母が亡くなった時に 娘から聞いていました。 でも、実際はもっと複雑でした。 彼女のお家では お父さんのひどいDVが原因で 離婚調停をしていました。 離婚の話が出てからは お父さんは家族と離れ 自分の実家へ戻っていたのに、 ある日 自宅へ帰ると 家を出て、実家へ戻っていたはずのお父さんが、 リ

      • 共有できる人がいると言うこと②

        母と夫の亡くなりかたについて、 ふたりともが自死だった、とはなかなか言えません。 友人のひとりには 高齢の父親を介護しているため 気を付けてあげてね、という意味も含めて 母のことを話しました。 別の友人には、仕事のこともあり、 夫のことを伝えたうえで、 葬儀を含めた対応などを相談しました。 この友人たちは、 まさか二人ともが自死だなんて、 これっぽっちも思っていません。 わたしも言ったところでどうなるの? そう考える自分がいます。 どちらかというと、 それは面倒くさい

        • 身内で自死が増える?

          とりとめもなく、 記事の前後と関係のない内容になります。 ネットの自殺記事のなかで 何度か目にしたことのあるのは、 「自殺した人は、身内も自死で亡くなっている」というもの。 連鎖?みたいな感じで。 以前はそういう記事があると 興味本位で見ていました。 そして、 そういうお家は気味が悪いなと思っていました。 (いま,我が家はその立場ですが 苦笑) 自殺という言葉を ニュースで聞いたり、 知識で知ってはいても、 一般の人には架空のものに 近いのではないかと思うのです。 そ

          共有できる人がいると言うこと①

          先日 母と夫の三回忌を迎えました。 亡くなって2年が経とうとしていますが、 私の中では1年ぐらいの感覚で、 娘もそのようでした。 娘も私もお互いに、 あまり知らない人や 久しぶりの人に会うのは まだ億劫だと言うことなどを話しました。 久しぶりに会う人と近況報告をする時、 わざわざ母と夫のことを言う必要もないのですが、 そのことを「話す」のか、 「話さない」のかを選択しなければならない。 そういう状況は普段の場面でも多く、 毎回それを考えて 選択することがシンドイ。 世間

          共有できる人がいると言うこと①

          こんなことになるとは…①

          母が亡くなった時のことを書きます。 ある寒い休日の午後、 早めに仕事から戻ると家の前に知らない男性が立っていました。 怪訝に思っていると、犬の散歩中に家の裏でおばあさんが倒れているのを見つけた、とのこと。 まさか、と思って裏へ回ってみると砂利の上にすでに冷たくなった母が横たわっていました。 見つけてくれた男性が、 夫へ伝えたところ家へ戻ったとのことだったので、救急車を呼んでくれていると思い、 私は母の横で身内や孫である子どもたちへ連絡をしました。 寒さのせいかショックのせい

          こんなことになるとは…①

          2022年 母と夫が旅立った

          昨年、私の人生には大きな出来事が訪れました。 母と夫が自ら命を絶ってしまったのです。 その事実は、これまで経験してきた苦難や困難とは比べ物にならないほどの衝撃でした。 日々が長く感じられ、 それでもようやく夫の死から1年が経とうとしています。 これまでの重荷に満ちた日々の中で、 正直に言えば、 よく自分は生きているなと不思議でたまらない。 何のために生きているのか、 時には「再生」という道が見えなくなることもあります。 それでも私は前向きに考えることを選び、 生きる意味を

          2022年 母と夫が旅立った