選択肢。
自分がこれまで目指してきた介護、これからも続けていきたい介護に『奪わない』ということがある。
できること、したいこと、したくないこと、それらの気持ちや行動を奪いたくないのだ。
誰もが自分のことは自分で決めて生きていたい。誰かに人生の選択を委ねているわけではないはずだ。でも、介護の現場ではそれが歪められるときがある。
例えば、『立てなくなってきた→トイレはやめておむつに』とか『食事で咽せる→刻んだものにする』といったことがある。これには誤解がある。立てないこととトイレで排泄できないことは直接関係ない。立てなくても椅子や車いすに座れればトイレにも座れるからだ。また、咽せるのは食事の形態だけではなく、咀嚼の程度や食べ方にも起因するため、単純に刻めばいいというものでもない。むしろ、刻むことでまとまりが無くなり、逆に咽せやすくなることも考えられる。
こうしたことは介護の専門性の一つだ。
一方、風呂に入りたくない、好きなものだけ食べたい、身体が痒いから掻く、腹が立って時には誰かと言い争う等、誰にでもあることに過剰反応しないのも介護の専門性の一つと言えるのではないかと思っている。介護の現場ではこれらをしばしば問題と捉え、行動を変化させようとすることがあるが、問題でもなければ抑えることでもない。でもすべて放っておくことでもない。ただ普通のこととして介護を受ける人の気持ちを理解し受け入れる。そのうえで、選択したことで生活にどんな影響が出るのか本人が理解できていればいい。できないとすれば、できるよう努めるのだ。究極は、支援をしないことも実は自立支援になるということもおさえておく必要がある。
このような二つの専門性を意識して、介護を受ける人が暮らしの中で望むことを叶えられるよう知識、技術を磨いて、提供できる支援の選択肢を増やしていく努力は介護に終わりなく求められていく。
環境の影響は大きく、変えられないものもあるけど、介護者側の要因で諦めさせてしまうことがあるとすれば、それは変えられる。