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胸臆に憤悱す。日蓮「立正安国論」冒頭から

ツイートのまとめ

ロシアのウクライナ侵攻には、憤り、悔しさ、悲しみ、色んな感情が入り乱れて、ザワついてます。日蓮の「立正安国論」の冒頭を反芻しながら、自分はこの事態にどう向き合うのか、生き方を問いたい。こういう時はたとえ陳腐であっても、借り物より自分の言葉を紡ぎたい
こういうのは即時性が大切なのでメモする。「立正安国論」は主人と旅人の対話形式ですが、冒頭、客が主人の所へ来て、この災難のありさまはなんだ? なぜこんなことに? なぜ? なぜ? と畳みかける語りです。そして「主人曰く、独り此の事を愁いて胸臆に憤悱す。客来って共に嘆く。屢談話を致さん」
760年前に発された「憤悱」という言葉。日蓮は他の書状で「我ら凡夫のつたなさは、経論に有ることと遠きことはおそるる心なし」と述べています。凡夫の拙さは、経論に書いてある仏の教えと、遠くで起こっていることとは、自分には関係がないと思って、怖れる心を抱かない、と。自分は何にうつつを抜かしていたんだ?とか、SDGsってなんだよとか、この事態から色々と突き付けられると同時に、日蓮の文章にまじめに向かうと、あっけらかんとなどして居られない、それを許さない突き動かすものがある。「立正安国論」の続きに「円覆を仰いで恨みを吞み、方載に俯して慮いを深くす」=天を仰いでこの恨みの思いを押し殺し、四方に広がる大地にうつむいて憂慮の思いを深める、と。仕事もプライベートも外見は何事もないように一日を終えるも、他責とか自責とかとも違う、内心のざわつき。教訓やら答えを安易に求めず、「独り此の事を愁いて胸臆に憤悱す」「共に嘆く」「屢談話を致さん」。この反芻、当面続く