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葱に鴨を背負わせたい

大好きな漫画『きのう何食べた?』のある回で、主人公であるシロさん・ケンジがすき焼きを食べる場面がある。霜降りのお肉を頬張るしあわせもさながら、その食卓の主役は「葱」だと思う。

なにせまるまる2本の長葱を少し遅めのタイミングで入れ(なぜならふたりともすき焼きの葱は「ぱりぱり派」だから)、食感と辛みのしっかり残った葱とサシの入った牛肉の甘い脂を合わせて食べるのだ。涎の出そうな一連の流れを読んでいる間じゅう、あー、と私は悶え続ける。
あー、葱たっぷりのすき焼き、食べたい。甘辛い割り下と脂をリセットして次のひと口をいっそうおいしくしてくれるぱりぱりの葱と、甘みも脂も存分に吸い込んですき焼きを抽象化したみたいな存在になったくたくたの葱と、両方、食べたい。

いったい長葱は不思議な食べものだ。生の状態は繊維がこわく、つんと辛いのに、過熱すればするほどどんどん柔らかく、甘くなっていく。その間の膨大なグラデーションを以って、どんな相方にも寄り添ってみせる。

中でも鉄板と言えば、ことわざにもなっている「鴨」との組み合わせだろうか。最近おいしい鴨鍋を食べさせてくれるお店を見つけてときどき訪ねていくようになり、なるほど慣用句になるだけのおいしさだ、と実感できた。

目の前にどんと分厚い鉄鍋が置かれて熱され、まずはそこで鴨の脂身がじゅうじゅうと踊る。鉄肌に脂が染みたら、鴨のもも肉とぶつ切りの長葱が登場。香ばしく焼き目のついたぷりぷりの腿肉ととろとろの葱を堪能した後、しっかりと鴨の旨味が焼き付いた鍋に出汁が注がれて、鴨しゃぶが始まる。

薄く切られてお行儀よく並んだ鴨ロースは、薄紅色の身とクリーム色の脂身のコントラストがきれい。澄んだお出汁に浸すとあっという間に桃色に変わって、よい匂いが立ちのぼる。
そのお相手を務める葱が、これでもかとどっさり用意されているのがすてき。九条葱の青と深谷葱の白が彩りよく千切りにされてふわふわと盛られているのを、潔く箸でつかみあげ、鍋に加えるとみるみる嵩が小さくなる。そこを鴨の身でくるんで、一息に口へ運ぶしあわせ!

鴨の旨味を、しゃきしゃきの葱が引き立てる――と言うべきところなのだろうけれど、ふくよかな出汁と甘い脂をたっぷりはらんで香りを増した葱の方こそを、私は求めているのだと思う。だって、肉にくるむ葱の量が多すぎて、途中できまって葱だけ追加することになるのだもの。〆のお蕎麦に、これも葱をたっぷり絡ませて食べるのがまた、おいしい。

鴨を背負しょった葱を夢見ながら、葱が旬の冬の間、家でもよく長葱を焼く。ちょっと奮発して買った太めの葱をぶつ切りにして、鉄のフライパンで、ごく弱火で、時折ひっくり返しながら。ちょっとやりすぎかな?というくらい焦げ目がついたら、小鉢に盛って醤油かポン酢をほんの少し回しかけ、花かつおでお化粧。油も酒も使っていないのに、葱が抱いていた水分だけで、芯のところが蕩けて甘い。
ひと口食べて、やはり、と思った。やっぱり、葱は主役だ。






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