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サラ・ベルナールという名の花

今年2度目の芍薬の切り花を家に迎えて、せっせと世話をしている。
こまめに水切りをしたり、花に軽く霧吹きをしているのがよいのか、前回よりも長く元気に咲いてくれそうな気配がしていて、うれしい。

……なんていう文章を下書きに置いた矢先、一番早くに開いた花が今日ばさりと散った。
その花は満開になってからもう3日ほど経っていて、そろそろ元気がなくなってきたので、茎を短く切って一輪挿しに移し、仕事部屋に持ち込んだ。今朝のことだ。そうしたら昼過ぎにとつぜん、花びらの4分の1ほどが、ちょうどケーキを切り分けたかのような塩梅でひとかたまりに音を立て落ちたのだった。そこからはもう、雪崩のようなありさま。
仲間と引き離したのが悪かったのか。抗議じみた派手な散りざまに、申し訳ない気持ちになった。

ともあれ、まだしゃんとした花が数本残っている。残り短い盛りの季節を、少しでも長く楽しみたい。

ところで芍薬にはたくさんの品種があって、我が家にいるのはサラベルというものらしい。
ただでさえ華やかな芍薬のなかでも、ひときわ高貴でエレガントな印象を受ける花容だ。
青みの強い、甘く柔らかなピンクが、花の中心に向かってだんだん濃くなっていくグラデーションが美しい。幼いころに夢想していた、「おひめさま」が着るドレスの色そのもの。そのうえ花びらのふちがフリルのように細かく波打ち、それが幾重にもなって咲いているので、花全体が本当に、優美な衣装をまとった姫君のように見える。

素敵な品種だな、来年も会えたらいいな、と思ってふと検索してみたら、「サラベル」は略称で、正式な品種名は「サラ・ベルナール」とのこと。


……ミュシャの人では?


記憶に従いアルフォンス・ミュシャの画集を引っ張り出してくると、やはりそうだった。出世作「ジスモンダ」が大きく載ったページの隣に、サラ・ベルナールの名とポートレートがある。
フランスの国民的な女優であるサラ。偶然のいたずらによりその主演作のポスターを手掛けることになったミュシャは、そのことがきっかけで市井のイラストレーターから一転、時代の寵児として花開いた――という逸話がなんともドラマチックで、印象に残っていたのだった。
改めて読んでも、すごく魅力的なエピソードだと思う。年の瀬が迫った或るパリの夜、クリスマス休暇も取らずに印刷所の片隅で校正に没頭する若者。そこに突然舞い込んでくる、無茶な納期の大仕事。出来上がったポスターを見て、花咲くように笑むミューズ。
原田マハ先生、小説にしてくれないかなあ。
(彼女の小説「サロメ」でちらっとサラの名前が出てきた覚えはある、そういえば)

あらためて、画集をしげしげと眺めてみる。
金襴の豪奢な衣装を身にまとい大きな花飾りを頭につけて、棕櫚の葉を手に誇り高く天を仰ぐジスモンダの絵姿。その隣のページで、それを演じたサラ本人がこちらに横顔を向け、夢見るような瞳で微笑んでいる。なだらかに美しい鼻梁の線と、背景にふわふわと溶け入りそうな、柔らかくカールした短い髪。
私の手元にあるミュシャの画集では、最初の章にサラのために描かれたポスターが集められている。デフォルメされた植物や幾何学模様といった特徴的な装飾に囲まれる彼女は、いずれもこの上なく美しい。上品で楚々とした「椿姫」や、異国情緒と神秘が匂い立つ「サマリアの女」、甘やかな陽光が薔薇色の頬のまろさを際立たせる「遠国の姫君」に、咲き誇る百合の冠を戴き、気高く掲げたこうべに女王の風格が漂う「サラ・ベルナール」。

まさに大輪の芍薬のような、優雅な色彩と柔らかな曲線に満ちた作品群。そこに時折混じって、だからこそ目を離せなくなるのが、不穏で硬質な空気が漂う、暗い色合いのポスターだ。「ハムレット」に、「ロレンザッチオ」。死者を足元に従え、あるいは背後に据えて、強い瞳で苛烈な運命を見据える者たち。

そういった作品の中で私にとって最もインパクトが強かったのは、「メデイア」だ。
沈んだ朱色で描かれた朝日を背に、ギリシア悲劇の主人公であるメデイアに扮したサラ・ベルナールが黒衣をまとって立ち尽くしている。土気色の顔の中でぎょろりと光る落ち窪んだ眼に満ちているのは、狂気とも言えるほどの激情だ。
右手に握った短刀は、足元に横たわる我が子の血にまみれている。震えを押さえるかのように、右手首を掴む左手。あらん限りの力を込めていることを示すかのごとくそこに浮かんだ筋と、不吉に絡みつく小さな黒い蛇。
他のポスターでは装飾に忍ばせるようにワントーンでひっそりと描かれていることの多い「死者」が、このポスターの中でははっきりとした質量を持って存在しているというのも印象深い。
陰惨なシーンを描いているのにどこかコルキス王女の気品を感じさせるのは、ミュシャとサラ、双方の力量によるものなのだろう。

初めてこの絵を見たときは、ミュシャがこんな作品を描くなんて、と、とても意外だった。砂糖菓子のように甘く、優美な作品のイメージがあまりにも強かったから。
サラ・ベルナールの名がついた芍薬を眺めた後にこの絵を見ると、華やかなピンク色の花と、絵の中の惨劇のギャップのほうに意識が向く。こわいくらいに幅を持った演者だったのだろうな、と。
改めてサラ自身のことを調べてみたら、個性的な逸話をたくさん持った人らしい。
面白くてWEBの記事を読み漁った。関連書籍なんかはあるのかしら。

↑ちょっとジャポニスムっぽいお写真、かわいいね

サラ・ベルナールのことは今まで「ミュシャを見いだした人」という雑な知識でしか認識したことがなかった。だからこうして、なんというか、他のものに付帯させず個人として調べてみる、というのはとても新鮮だった。芍薬の品種名を気に留めなければ起こり得なかったことだ。

そう考えるうち、花に実在の人物の名前がついている、ということがもたらすものに気づく。
花が咲くたびに、その人のことを思い出すようになる。その人のことをよく知らなかったのに、花をきっかけに好きになることがある。100年後も、200年後も、その花を愛でる人がいる限り。

なんてロマンティック!

私に物語を作る才能があれば、花の交配と名付けをテーマにしたお話を書くのにと、少し悔しく思っている。
きっとサラ・ベルナールという名の花に似て、甘さの中に激情を秘めた恋物語になることだろう。



参考書籍:


メデイアの話をしていて思い出した。
古代ギリシャ研究家・藤村シシンさんの動画が好きで最近よく見ています。
メデイアとその(元)夫であるイアソンについて、ライブドアのチャンネル「ゲームさんぽ」で語ってくれるものがあるのでご紹介。

ゲームさんぽは他にも面白い企画がたくさんあって好きです。
元のゲームを知らなくても楽しめるのでぜひ。

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