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60歳からの古本屋開業 第2章 話はこうして始まった(5)本が溜まる仕事

登場人物
夏井誠(なつい・まこと) 私。編集者・ライターのおやじ


本の近くで仕事がしたい

 成人した私が就職したのは編集プロダクションだった。
 大手出版社などの下請けとして、実際に・・・書籍や雑誌の制作を行う会社だ。
 もう、もろに本好き、本の近くで仕事がしたいという思いがさく裂した仕事選びである。
 本は好きだけど勉強は苦手という私にとって、当時、30倍の凄い倍率、広告代理店と並び超人気の花形職種である出版社への就職など可能性ゼロ。高嶺の花どころの話ではなかった。
 その点、常時労働力を求めていた編集プロダクションはお互いのタイミングと事情が合えば就職できる場所だった。現在のテレビ局と番組制作会社のようなものかもしれない。ああ、これも今はすでに古い例になってしまったか。
 出版社の下請けであるから、書籍を作れと言われれば書籍を作り、雑誌を作れと言われれば雑誌を徹夜してでも作る。
 また、こうした仕事を新しく産み出すために、出版社に企画を持ち込む。
 今、この悪だくみを一緒に楽しんでいる赤羽あかば氏とも、そんな持ち込みが縁で意気投合し、そのあとの長い付き合いとなった次第。
 この編集という仕事は実に範囲が広く、本や雑誌を作ることに関連した作業はたいがい自分たちでやってしまう。イラストもデザインも、発注があれば会社案内だって広告だって制作する。
 締め切りの土壇場では、版下と呼ばれる印刷物の原紙のようなものを修正することもあった。今の人は知らないと思うが、版下とは印画紙という特殊な紙に印刷された活字が大きな台紙の上に貼り付けられているもの。まさに最終原稿とも言えるもので、これに手を加えるのは、禁断の最終手段となる。もし文字が間違っていたら、定規とカッターでその部分を切り取って、正しい文字を貼り付ける。100か所間違いがあったら100か所、カッターと定規で修正していくのだ。3文字が2文字になったりしたら、もう大騒ぎ! 何行にもわたり剝がしたり貼り付けたりという手作業が発生する。
 もちろん当時はこれを専門に行う写植屋さんというプロの方がいたが、締め切りぎりぎり、夜がうっすらと明け始め、あと1時間で印刷屋さんが取りに来る、なんてタイミングでは、この作業を自分たちでやらねばならない。だから当時の編集作業を経験した人は、どんなに不器用な人でも、今もカッターだけは器用に使うことができたりする。
 ちなみに、当時はパソコンなんてない時代。わずかに存在したのは、ワープロだ(これも今の人は知らないか!)。
 初めて見たワープロは富士通が出したオアシスという名前の巨大な機械で、セットで小さな勉強机くらいの大きさがあった。数年後、卓上型のワープロが登場した時には、初めて文明に触れた原始人のごとく、怖くてちょっと離れたところから眺めたりしていたものだ。ディスプレイなんて3行くらいしか表示できない、便利なんだか大変なんだか分からないような道具だったが、その正式な感じに緊張しすぎて、原稿用紙には平気で書いていた「なんちゃって」文体の不真面目文章が一時期書けなくなった。
 ちょっと懐かしすぎて話が脇にそれてしまったが、そんな職業についてしまったものだから、毎日のように書店に通って本を読む・買うということが仕事そのものになり、また新たな仕事を得るための投資ともなった。そうした本の購入は会社の経費で落とせることもあり、ますます手元に本が溜まっていった。

そして引っ越し

 今ではすっかり元気のない出版関連の仕事だが、当時は元気いっぱいの成長ジャンル。
 バブル全盛期(当時はその状況が当たり前で、いつまでも続くと本気で思っていたので、貯金なんて全然考えずにすべて使っておりました。ああ、おそろしい)ということもあり、仕事を覚え立場がちょっと上がったりすると、それにともなって給料もきっちり、がっちり上昇していく幸せな時代。
 そうなると調子に乗って、もうちょっと都会の、会社に近くのちょっと広い部屋に移ろうか、なんてことも考える。
「タクシー代がもったいないし、夜中まで働いて、そこから飲みに行くと、やっぱり近くに住まなきゃ」なんて。
 今から思えば、部屋探しの基準が完全に狂っている。本当にバカでした。
 そしてそのバカは、会社が麹町にあったため、皇居の反対側、タクシーを使えば3000円くらいで帰れる門前仲町で、結構家賃の高い部屋を借りることになった。
 もちろん大切な本たちは、そのまま新しい部屋へ。
 もうそのころには、数千冊の本が溜まっていたと思う。
 新しい部屋は玄関からキッチンまで幅2mほどの廊下がまっすぐ続く構造になっていた。まずその廊下の壁際が本で埋め尽くされる。本の山、高さ1m。これが20山✖️2列。
 一山40冊とすると、1列で約800冊。2列で約1600冊。
 さらにキッチンの奥にある居室の本棚。1列40冊くらいが10段ほど。
 ざっと合算して2000冊。
 ここに移り住んだのは30歳くらいの頃だったので、自分で本を買いだして(溜め込みだして)約10年。年間約200冊。だいたい計算が合う。
 それからも順調に、年間200冊ほどの本が溜まっていったわけだが、そこに大きな転機が訪れることになる。

(つづく)


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