変な人 (13)新宿3丁目のお殿様男
頭がまったく揺れないのだ。
その人物の後姿を目にしたとき、きっとふざけているのだろうと思った。
ほら、よくあるじゃないですか。
親しい同僚にサササッと気づかれないように早足で近づいて、肩をポンなんて叩いて、振り返ったほっぺたを指でツンとついたり、ヒザカックンして「おはよう」なんて挨拶したり。
てっきり、その類だろうと思ったのです。
しかし、丸の内線、新宿3丁目の駅に降り立ったその男の前には、追いつこうとする対象も、いたずらを仕掛けようという相手も存在せず、明らかに一人きりだった。
紺色のスーツを着用し、ビジネスバッグを左手に持った30歳代、身長170センチ前後。新宿だけでも数万人はいる、ごく普通のビジネスマン風の男。
しかし、彼はひどく目立った。
歩き方が変だったのだ。
前に進みながらも、まったく頭が動かない。下半身だけで歩いているのだ。
ちょうど忠臣蔵の浅野内匠頭みたいな偉いお殿様が、手を腰の横に置き、長い裾を引きずりながら廊下を静々と歩くように。
しかもスピードはそれ以上。むしろ速い。
すべての人物が、せわしなく身体を上下に動かしながら歩く新宿3丁目のホームにおいて、決して頭が動かない歩行法は異様に目立つものだった。
みなさん、覚えているだろうか。
ドリフターズがやっていた階段コント。
壁の絵の向こうで、いかにも階段を下りていくような演技で次第に消えていくコントだ。
あるいは、が~まるちょばの階段を上り下りするパントマイム。
言ってみれば、あれの「動く歩道版」。
下半身を隠したら、その上半身の様子は動く歩道で運ばれているように見えることだろう。
彼はそんな歩き方をして疲れないのだろうか。
みなさんも試してみればおわかりになると思うが、あのお殿様歩行法は、見た目の静々とした感じとは裏腹に、太もものあたりが異様に疲れるのだ。
そりゃそうだ。上半身を動かさず、前へ進むためには、腰をぐっと落として膝に余裕を作り、膝と太ももだけで歩く感じでなければならない。
私も事務所で試してみたが、数メートルの歩行で太ももがパンパンになってしまった。
よくこんな歩き方、昔のお殿様、いや、3丁目のお殿様男は毎日しているものである。
もしや彼は、お忍びで打ち合わせに出かける歌舞伎役者か。
それとも新手のダイエット法。あ、もしや社交ダンスの練習か。
朝の新宿。揺れない頭の後姿を呆然と見送るしかない、ワタクシなのであった。
あ、しまった! 彼が階段上がるとこ、見たかった!
(つづく)
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