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魔女見習いをさがしてのBlu-rayが届いて浮き足立ってる

おジャ魔女どれみ20周年記念作品として作られた映画「魔女見習いをさがして」のBlu-rayが届いた。Amazonで予約したので書き下ろしのファインボードが特典として付いてきてる。

で、とにかくパッケージデザインが美しすぎて見入ってる。いや、正確には美しいというより「かわいい」なんだろうけど、なんか40も過ぎたおっさんが「かわいい」って言うのもなんかなぁ…と思って無理やり「美しい」と言ってるような、本当に「美しい」と思ってるような…そんなよくわからない気持ち。

確実に言えることは圧倒的に惹きつけられてる。それが証拠に、現物を手にしてから4時間経った今も、封を開けられないでいる。これはもうひとつ買うしかないのか…久しぶりに保存用と観賞用という言葉が浮かんだ。

さっきからTwitterで「魔女見習いをさがして」をエゴサして、同じように作品を受け取ってる人たちのツイートを見て幸せな気持ちになってる。これは一体何なのか。

とにかく気持ちが浮き足立ってる。なぜこの作品にここまで心がときめくのか、ここまでくるとハッキリした理由はよくわからなくなってるところもあるが、圧倒的に好きなものは理屈を超えたところにあるのだろう。考えてみれば、それは当たり前なのかもしれない。

映画館でこの作品を見たときは、アニメのおジャ魔女どれみを知らなかった。映画に惹きつけられて、アニメを見始めたものの、なにせ4年間で201話、劇場版2話、OVA13話に小説版まであるという大作だ。映画の上映期間中に見終わることはできなかった。

7回目の鑑賞となった12月23日の時点では、確か「も〜っと!」の40話直前だったと記憶している。つまり4期の最終回である「ドッカ〜ン!」を見始めてすらなかったのだ。

なので、映画の中で「どれみちゃんたち、確か魔女にはならなかったんですよね」「卒業式のとき、魔法を使ってないのに魔法だなーって思った」というセリフが、「ふーん、そんなことがあったのだな」というような、何となくの想像でしかなかったのだ。

アニメを見終わったのが年明けの1月。もう広島県での上映は終わってた。つまり、アニメの文脈を全て理解した後のぼくは、まだ「魔女見習いをさがして」を見れてないのだ。

アニメの文脈を知ってしまったぼくは、より「おジャ魔女どれみ」という作品への愛が強まってる。ソラ、ミレ、レイカの気持ちがわかってしまっている。これで「魔女見習いをさがして」を見るとどうなるんだろう。気が気じゃない。

ぼくはYouTuberなので、動画の編集もしないといけないし、こうしてる今もいろいろやることがある。けど、これを手にしてからずっと浮き足立ってる。何も手につかない。

優れた作品を見たとき、それがライブであろうと小説であろうと、漫画であろうと、ぼくは「がんばろう」という気持ちになれてる。

ただ、今回は浮き足立ってる。このふわふわした気持ちのままだとどうなってしまうのだろう?ちょっと怖い。

けど、きっと明日にはこの気持ちを「前に進むエネルギー」に変えて、今までには味わったことのない活力としてがんばれるはず。言い訳っぽいけど、なんとなくそんな予感はしてる。

そうでなくては、この作品に申し訳ない。この作品は「今を生きる」人へのエールだと思うからだ。

本当にすばらしい作品をありがとうございました。そして夏菜子ちゃんを声優に選んで、モノノフであるぼくのところに届けてくれてありがとう。

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