古代思想(共和政とアリストテレス)
おはようございます!
朝ですね。眠い目を何とかシバシバさせながら書いています。忙しくあることは、とても有難いことですね。今日も相変わらず感謝しています。週も半ばに差し掛かりましたね。いかがお過ごしでしょうか。8月も終わりに向かいます。夏のラストスパートです!
今回は主にキーワードとして共和主義、アリストテレス、ストア派などについて言及していきたいと思います。どちみち執筆しているあいだに通学の時間が差し迫ってくるので、キリのいいところで次回に持ち越してまいります。
まずは共和主義についてですが、今回はとりわけ古代ローマを社会全体の在り方として理想化する「古典的共和主義 classical republicanism」から現代を生き延びる道筋を見出していきたいと思います。公共の利益や共通善の追求、市民参加や権力の制限と均衡、法律に基づく統治などが主たる概念です。これを古代で見事に実現させ平和をもたらしていたわけですから、それは古代ローマ帝国が未だに原点にして頂点と言われる所以ですね。ストア派のほうでは「自然にしたがい生きる」という考えのもと、欲望や情動に惑わされずに理性や徳に基づく生き方を指しています。それこそが幸福に近づくというんですね。まさにストイックです。いずれにしても「徳に沿った善い生活」を中心に古代独特の目的論的 teleological 世界観が基礎となっています。この目的論的、というのが後に言及するマキャヴェリにつながっていきます。徳を積むことが合理的であるというんですね。
古代共和国の理想として、アリストテレスは『政治学』のなかで「人間はポリス的動物 zoon politikon である」とし、徳 virtue への追及こそが人間の幸福だとしました。人間は社会的な動物であるから、「全体は部分より先に」つまり本質的に人間は単独で行動するようにはできておらず、社会的・政治的に営む集団であるという意味合いです。ポリスは都市国家 city state です(≠国家 nation)。個ではなく、まず全体があるというんですね。これはちょうどまず個としてバラバラにして、そこから全体を見直すホッブズの考え方とは対照的です。アリストテレスは、人間がポリスのなかで生活することで道徳的・知的に発展する能力を持つとしています。共同体での生活は、人間の目的(テロス)を達成するためのものであり、それを通じて徳や価値観が育まれるというのです。これを政治的共同体として止揚させたものが共和政ですね。公共の利益を追求するという意味では少し功利主義に近いところもあるかもしれません。
私はこれまで個人主義で生きていましたが、古代に回帰して「ポリス的動物」として集団に慣れる、社会性を持ち規律を守り国家としての秩序を維持する一員となるフェーズにきているような気がしています。ルールを守り規範にしたがってこそ、真の自由が担保されるというのは非常にロック的ですね。その考え方がすとんと腑に落ちましたし、私の抱えてる二面性(自由と従順)や矛盾に折り合いがつけられたように感じます。
さて、尻切れトンボではありますが、朝の支度の時間になりましたので、そろそろ通学モードに切り替えていきたいと思います。今日明日以降、今回の続きをもう少し解説してまいりたいと思います。
それでは今日も良い一日をお過ごしください。
you 拝