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日本詩の芸術性と音楽性(8)-若い詩人の皆さんへ「自由韻文詩のすすめ」-

定型詩でも散文詩でもない「自由な音楽性を持つ詩」を「自由韻文詩」と呼んでその構造(つまり創作法)を一つのシンプルな基本式として提案します。(全10回)
  
     日本詩の芸術性と音楽性(8)

【あとがきに代えて】

ご参考までに拙作から短詩四編・中詩二編・長詩一編をご紹介します。
朔太郎の無上の詩編の後に拙作を載せる事には忸怩たる思いがありますが、本稿内容への文責上から、より現代詩に近い年代の自由韻文詩例として敢えて掲載する事にしました。

短詩一編は「押韻のみ」、三編は各「押韻+リフレイン」の例。A4紙1枚程度の中詩一編は「押韻+擬音」、もう一編は「押韻+リフレイン」の例になります。またA4紙3枚程度の長詩一編では、この長さでも現代口語の自由韻文詩として耐えられるかどうかの検証をして頂ければと思います。(ここでは音楽的技法の効果が分かり易い数編を選び例示したので、詩想の一貫性が無い事はご容赦下さい。)

朔太郎の様な大きな才能がなくとも「自由韻文詩の基本式」を踏まえれば、現代口語を用いても音楽性のある自由詩=自由韻文詩を作る事が出来る、という一片の証左にでもなれば幸いです。
しかし、もし読者がこれらの詩に音楽性も芸術性も感じる事が出来ないなら、それはひとえに創作者の非才の故ですので、間違っても「自由韻文詩」の否定に繋げる事はお止め下さい。

何故なら、一千数百年の歴史を誇る日本詩歌の天空には、現代と呼ばれるこの時代において一時的に雲が掛かっているに過ぎず、雲の彼方には数多の韻文詩歌の巨星たちが煌めいており、その中でも取り分け現代自由詩が道標とすべき萩原朔太郎が、「自由韻文詩の北極星」として常に燦然と輝き続けているのですから。


【現代口語自由韻文詩の実例】


  「別れ」

あなたはその身を水色みずいろに染め
きれいなひとみ
微笑みはなかった

もう永遠えいえんに別れゆく人
君にショパンの別れのワルツを


    「夜明け」

存在の音を聞いている
存在の光を俺は見ている
 
美しい夜明けだ
バラ色の女神がひとみを開いて
再び世界の有り明けが来たのだ
 
存在の音を聞いているのだ
存在の光をは見ている


  「マドンナ」 ―ムンクに寄せて―

やわらかにうねり流れるあなたの黒髪
みどりのひとみは深淵をただよい
その蒼白あおじろ乳房ちぶさが恍惚へといざなう

マドンナよ
死のマドンナよ
私はあなたに
私はあなたに永遠えいえんにいだかれ

    
  「光」

この砂っしゃがれた光の裏には
美しいあかつきの輝きがある

無窮の時は清らかに流れ
しめやかに波打つ
永遠えいえんの微笑みが世界に広がる

燃え立てよ光!
燃え立てよ光!
この一切の幻影マーヤーを滅ぼし尽くして

        
                   
                                 日本詩の芸術性と音楽性(9)に続く


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