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日本詩の芸術性と音楽性(1)-若い詩人の皆さんへ「自由韻文詩のすすめ」-

定型詩でも散文詩でもない「自由な音楽性を持つ詩」を「自由韻文詩」と呼んでその構造(つまり創作法)を一つのシンプルな基本式として提案します。(全10回)  

     日本詩の芸術性と音楽性(1) 

【序に代えて】                              詩は言葉の音楽であり、絵画であり映像であり思想でもあります。但し、音楽や歌は聴覚で、絵画や彫刻は視覚や触覚で創作者の感情、祈りや思想という表現物を五感に直接訴え掛ける事が出来ますが(そしてそれがつまり芸術と呼ばれるなら)、詩では楽器も使えず絵筆も持てず「音としての言葉であり記号としての言語をただ一つの表現手段とする」ので、五感への直接の働きかけが弱く、どうしても感情・魂への訴え掛けにインパクトが欠ける事は「芸術としての詩」の本質的な弱点であり、言ってみれば五感との関係で他の芸術を「直接芸術」と仮に呼ぶなら、詩は「間接芸術」の宿命にあります。

そこで詩が直接芸術に少しでも近付き、広く人々の心に訴え寄り添うためには、五感に出来るだけ直接近く働き掛ける仕組みであり仕掛けとしての「創作技術・技法」の助けがどうしても必要となります。音楽に音楽技法が、絵画に絵画技法が必要である以上に間接芸術である詩には特に優れた創作技術・詩作技法が必要不可欠であり、その技術技法を自由自在に使いこなせて初めて、詩人は独自の詩情を効果的に読者に伝える事が可能になります。

「詩=言語としての芸術」のための創作技術・技法は当然限られますが、主には「音としての言語」の側面ではリズム(音律)、メロディー(音韻・旋律)や擬音・擬声やリフレインといった音楽技法を存分に活用する事で疑似音楽として読者の感情感性を抑揚させ、「表記文字」の側面では漢字・ひらかな・カタカナや外国諸単語までも配合する事で詩全体の視覚印象効果を高める事などがあります。

しかし芸術としての詩にはそうした本質的な弱点がある一方で、人類固有の能力であり存在意義とも言える「言語」を表現手段とすることで、「意味やシンボルを直接表現することが出来る」と言う他芸術には無い独自で決定的な強みを持っています。
つまり詩は、言語により人間の大脳言語野に直接働き掛けて「人類固有にして最大の特殊能力である『想像力』をフル活用出来る稀有な芸術」としての本質を持つものなので、詩が迷路に迷い込んでいると言われる現代においても、芸術としての日本詩の創作技術・技法の基本である「日本詩の音楽性の仕組み」を理解しそれを存分に活用する事によって、再び日本詩を国民に愛される芸術として復興させることが出来る筈です。

音楽・絵画に西行の侘び寂びの情緒知性を詩のように奥深く表現することは出来ず、萩原朔太郎の感性神経世界を詩以上に的確に描き出すことは決して出来ません。

従って、「芸術としての詩」を創作し自らの魂を人々に向けて表現しようとする詩人は、詩の弱点宿命をよく理解した上で、「詩の芸術性を高める技法」を常に錬成して自由自在な表現力の獲得に努力すべきでしょう。

次からは詩の芸術性の主要素である「音楽性」について具体的に見て行きましょう。             

                日本詩の芸術性と音楽性(2)に続く
        



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