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日本詩の芸術性と音楽性(5)-若い詩人の皆さんへ「自由韻文詩のすすめ」-
定型詩でも散文詩でもない「自由な音楽性を持つ詩」を「自由韻文詩」と呼んでその構造(つまり創作法)を一つのシンプルな基本式として提案します。(全10回)
日本詩の芸術性と音楽性(5)
次に近代自由詩に目を向け、その中でも日本語表記文字の特性と音楽性を少数文字に凝縮した「一行詩」に焦点を当ててみる事にしましょう。
【日本詩の視覚効果】
てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った
近代詩人である安西冬衛の有名な一行詩「春」ですが、「てふてふ」と「韃靼海峡」の音質対比と文字形態の視覚印象対比が際立ち、そこに言語のシンボル性が相まって、読者はこの一行詩が描き出す底知れぬ不安な世界に引き込まれることになります。(この「てふてふ」と「韃靼海峡」の対比こそ、後ほど触れる事になる欧米言語や中国語等では表現出来ない日本語独自の表記能力の象徴といえます。)
またそこには前述の本質的な日本詩のリズムとメロディーがやや破調的ではあるものの、詩の意味性を強化する音楽を奏でています。
因みにこの詩の勢いと連続性で言えば八八七と読むのが妥当でしょうが、押韻との関係では次のように「5拍」「3拍」「3拍」「5拍」「4拍」「3拍」と分解されます。
てふてふが一匹 韃靼海峡を 渡って行った
TehuTehuga Ippiki Dattan Kaikyouwo Watatte Itta てふてふが 一匹 韃靼 海峡を 渡って 行った
この詩のメロディーを牽引する音は、言うまでもなく子音の T と母音の i ですが、 DatTanの D は T の濁音としてその単語のみで拍内頭韻しており、DatTanの Ta は次の Watatte の ta 及び最後の Itta の ta とも押韻しています。また視覚上は関連のない TehuTehu の T との子韻も音楽上は有効なものとなっています。
ついでに敢えて言えば、Ippiki は Kaikyou の i と子韻して最後の締めの Itta で完結。
また「てふてふ」は ChouChou と読むべからず、TehuTehu の T はこの詩全体の押韻連鎖を主導すると共に、微弱で儚げな羽音と Dattan Kaikyou の非常に硬質な音感及び視覚イメージの対比を際立たせ、和語と漢語の中でも軟硬両極に位置する単語を一行詩の中に凝縮して音楽効果と共に見事な視覚印象効果を上げています。
【散文短詩について】
先の一行詩を含めて現代でも愛唱される近代口語自由詩や、散文詩家である山頭火の代表的俳句等は、日本詩の規律である五七調を破ったものであると言われますが、先に述べたように「2拍」「3拍」「4拍」「5拍」を主な構成要素としてみれば、それほど大きく日本詩本来のリズムを外しているとは言えません。別の意味で言えば、日本語で詩歌を作る限り日本詩歌の本質的な基本リズムの組み合わせと云う必要条件を無視しては、広く愛唱される作品を作ることは困難ではないでしょうか。
うしろ姿のしぐれてゆくか
うしろ姿の しぐれてゆくか
Ushiro sugatano shigurete yukuka
うしろ 姿の しぐれて ゆくか
山頭火のこの句は詩の勢いでは七七ですが、押韻との関係では「3拍」「4拍」「4拍」「3拍」の計四拍に分解出来ます。この十四文字の中に、子音 s と母音 u を主音とする子韻と母韻が有機的に配置されて簡潔なメロディーを奏で、「うしろ姿」と「しぐれてゆく」のたった二つの言葉のシンボルを音楽的に結合して、その心証を見事に映像化しています。口語散文詩を極めようとした山頭火ですが、彼の幾多の短詩の中で現代でも人口に膾炙する詩には、やはり日本詩の芸術性の本質が脈打っていると言えるでしょう。
以上迄で「音楽性の基本式」についての簡単な実例分析を終えますが、次に追記的ながら「日本語は本当に詩作に適した言語ではないのか?」の論点についても簡単に述べておきます。
【詩における日本語の優位性】
「日本語は特に欧米言語や中国語等に比べて、母音子音が単調な上に発声の抑揚が少なく押韻効果は乏しい」との指摘は音楽性の一面ではその通りでしょうが、「漢字」「ひらかな」「カタカナ」に加え「アルファベット」等も含めて3~4種以上の表音文字と表意文字を文中で自由に使いこなし使い分けが出来る事は、他言語に対する日本語の大きな特異性であり優位性でもあります。
特に「詩歌」という非常に少ない文字数の文学・表現芸術にとっては、この日本語の特異性、特徴は極めて大きなメリットとなります。漢字は一文字での表意が可能で、表音文字であるひらがな、カタカナ、アルファベット等との組み合わせにより他言語に比べて「より少ない文字数で意味を直感的に表現出来る」と共に、「各文字の視覚及び音質特性を活かした変幻自在な表現のポテンシャルを持つ」ことは、発声における抑揚面での他言語に対する劣等面を充分カバーする「詩作における日本語の優位性」であると言えます。
つまり「日本語は詩作に適した言語である」「文字数に制限のない自由詩においてこそ、日本語の優位性を存分に発揮出来る」事を日本語で詩作しようとする者は自覚し、また自信を持つべきではないでしょうか。
以上ここにおいては詩の論説を書こうとするものではないので、短歌と短詩のみを取り上げましたが、さらに長い自由詩であっても本質的なことは何ら変わらないでしょう。むしろ長文であればあるほど芸術としての日本詩歌の創作技法を存分に活用する事で、現代詩においても芸術性・音楽性豊かな自由詩への道は開けてくるはずです。
そこでいよいよここからは現代詩について少し述べる事にしましょう。
日本詩の芸術性と音楽性(6)に続く