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「嫌」という感情の根っこに、自分の準備不足を許せない自分がいた
ある会議について、「大変そうだなあ」という気持ちが一瞬よぎったけれど、「この組織のために役立てるのは、いいことだよね」と思って、その場に臨んだ。
始まる前まで、気がかりが残っている感じがしていて、
終わったら、どっと疲れが出た。
しばらく、身体と心をほぐしていたら、元気が戻ってきた。
「嫌なことは、身体が反応するようになったんだなあ」と思った。
やらねばならないことを、感情のないロボットのようにこなしていた以前と比べたら、自分の気持ちが体の状態に反映するようになったのは、前進だと思う。
今回も、頭で自分の心を説得したように見えて、
実は、「やっぱり、嫌だったんだなあ」と思った。
「言動に問題を感じる人が、会議の進行役だったから?」
「不当な攻撃は、なるべく避けられたように思うけど・・・」
と、考えを巡らせているうちに、
「議論になりそうなことへの、自分の準備が足りないまま参加したことが、自分で納得いかなかったんじゃないか」
ということに、思い当たった。
「他人が原因のように、表面的には見えるけれど、実は、自分に原因があったんだ!」
「やっぱり、何事も、自分次第」ということを、再確認した。