
日常の中の感情を、大切に感じる
年の初め、今年もきょうだいと一緒に、母の墓参りに出かけた。
お寺の中の樹木葬区画の、共同の献花台に飾られている、たくさんのきれいな花々を眺めながら、「きれいだね、本当にここでよかったね」と言葉を交わし、お線香をあげ、手を合わせた。
きょうだいが顔を会わせる、数少ない機会だから、
今年も会えたことが、素直に嬉しかった。
以前の私は、
「そんなごく普通のことで、嬉しいって思うなんて」と、
恥ずかしい気持ちが働いて、
「毎年やるべきことを、今年もちゃんとこなしただけ」
みたいな、ドライな感覚だった。
「嬉しい」と喜ぶことは、もっとすごいことじゃなくちゃいけない、
と、どこかで思っていたのだと思う。
今は、
「今年もきょうだいと会えたことが、嬉しい」
という、素直な気持ちを、そのまま大切に受け止められるようになった。
そして、
「私は、きょうだいと会いたい、と思っているんだ」
という気持ちが自分の中にあることも、認められるようになった。
ごく普通の日常の中で、
「私は、今、そんなことを感じているんだ」
と、自分の素直な気持ちがわかるようになると、
心と頭がスッと一致する感覚を得られて、気持ちがいい。