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チャレンジが得意でない私が、チャレンジできるようになるために、大切だったこと

今まで、自分の道を、自分で選んできたように思っていたけれど、
それは、一定の枠の中で、どれがいいか、を選んできたにすぎない。
全く、何をやっても、どう生きても、自由、という場に立ってみた時に、
初めて、そう思った。

一定の枠の中では、選択肢が限られていて、選びやすかったし、
どれを選んでも、”枠内のことだから”、という安心感があった。
選ぶことよりも、「どうやってやっていくか」の方に、
意識が向いていたと思う。

何をやってもいい場に立つと、「どうやってやっていくか」の前に、
「どんな生き方を選ぶか、何をしていくことを選ぶか」を、
今までの枠を外して考えて、決める必要がある。
私の場合、ここに大きなハードルがあったことに、ようやく気づいた。

「こんなことをしたいなあ」と、夢見ることは、できた。
「こんなふうにしていったらどうかなあ」と、計画を作ることも、できた。
でも、そこから先に、進まないのは、何故だろう?
今まで、私は、計画通り実行することを得意としてきたのに、なぜ?

何で、できないんだろう?
やっぱり、私には向いていないのかなあ? 無理なのかなあ?

悲しいループを、何週もグルグルしているうちに、ふと、気づいた。
夢見るのも、計画を作るのも、
未来へのワクワクした気持ちを味わえるから、気持ちいい。
でも、そこから先は、いばらの道を進まなくてはいけないから、大変そう!
こわいし、めんどうくさい!

頭では、「前に進みたい」と言いながら、
心では、「夢見ているくらいが、楽ちんで楽しいし、安全」と思っていた。
このストッパーが、私の場合、ものすごく強力だったことに、気づいた。

このストッパーは、無理やり外そうとすると、余計に抵抗する。
これを外す鍵が、「本当は、どうしたい?」を、素直に、強く、
感じられるようになることだった。

急には、わからないけれど、
いろいろなことを、ちょっとずつ試して、自分の気持ちを感じてみたり、
様々な葛藤の中で、自分の気持ちに気づいたり、を、繰り返しながら、
だんだん、「やっぱり、そうなんだ!」と、確信を深めていくことが、必要だった。

ものすごくシンプルな答えだけれど、
私にとっては、そうできるようになることに、たくさんの時間が必要だった。

そして、もう一つ、私にとって、とっても大きかったことは、
「背中を押してもらえる仲間がいる」ということ。
一人では、踏み出す勇気が出ない時に、
仲間に話を聞いてもらったり、フイードバックしてもらえたから、
「じゃあ、やってみようかな」と、一歩を踏み出すことができた。

私の大切な、2つの鍵を、これからも、大切にしていく。

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