役割ではなく人へ目を向ける「夫婦という他人/下重暁子」

こんにちは

今回はエッセイスト下重暁子さんの著書「夫婦という他人」の読書録になります。

目処は立ってないけどいっちょ前に結婚願望はありまして、実際の結婚生活を始める前に心構えというか心の在り方を知っておこうと思ってこの本を買いました。

「夫婦という他人」という言葉が指すもの

「夫婦という他人」…タイトルにもなっているこの言葉が指すものは、結婚後に陥りやすい心の有り様への警句でした。

結婚して家庭を築くと多くの場合において、役割における依存が始まります。妻だから家事をする、夫だから働いて収入を得る…しかしそれ以外は相方に依存する。
互いが一人暮らしをしていたときのほうがよっぽど自立していたというのに。

この依存状況がもたらすのは相方への不満です。妻なのに家事が下手とか、夫なのに収入が少ないとか。
不満の源は相手への期待が自分の中にあるからだと下重さんはいいます。
もともとは自分ひとりで成り立っていたのに、相手の役割に依存して、結果が期待に満たなかったら不満を生み出す…なんとも不健康な話です。

夫婦とはいっても他人であるのだから個別の自立が必要である、という意味が込められた言葉がタイトルです。

役割、常識、期待、イメージ…そんな思い込みを捨てて

夫婦といえど他人である。

下重さん自身はパートナーの方はいても、経済面は別個で互いに自立していて、家事は互いの得意とするものをする、と徹底されています。

妻、夫といった役割もコモンセンスではありますが「夫だから、妻だからこうする」なんてものは社会が形成した思い込みであるとも言えるんじゃないでしょうか。
役割や性別を超越して人間本来の自由を希求するのが最近の流行ですし、この考えに関してはどんどん浸透していくのかなーと思います。

ただし、夫婦は他人の考えを持つのは大切です。他人がご飯を作る、他人が働いて収入を得てくれる、こんなことは当たり前じゃないですから。

もしかして、アドラー心理学

ちなみに私はこの本をサラッと読んで終えました。夫婦は他人の考え自体がアドラー心理学に近く、デジャブがありました。

本書は「夫婦は他人」の話を冒頭からしばらく展開したあとに、下重さんの半生に話が移ります。これがだいたい私に合わなかった😅一番美味しいところもデジャブでちょっと損した気分です。

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