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『翼をください』
コロナが流行り出してから、咳やくしゃみ、声の大きさなどに気をつかう毎日。
そういえば、鼻歌さえも躊躇うようになってしまいました。
食器を洗ったり洗濯物を畳んだりしているとき、今までならお気に入りの曲のメロディで気分を上げ、面倒な家事もこなしていたのに、それが今は、唇をとじたまましずかに手を動かしているだけ。
気付けば歌っていた、という感覚を少し忘れつつあります。
(ただし、酔っている時は別です)
今日は久しぶりに鼻歌を歌ってみようと思い、ふと浮かんだ曲が『翼をください』でした。
初めてこの曲を知ったのは、小学生の頃。
きっと皆さんも、音楽の教科書や合唱曲などで知り、一度は歌ったことがあるのではないでしょうか。
元は「赤い鳥」というフォークグループが唄っていた歌謡曲だと知ったのは、ずっと後のことでした。
歌詞を知りたい方はこちらを⇩
幼かった私は、純粋に
空を飛びたいから翼が欲しい、
というわくわくするような幻想を曲にしたのだと思っていました。
記憶に残っているエピソードがあります。
この曲を口ずさみながら、家で絵を描いていた小学校低学年の私。
絵には、翼を付けて飛んでいる笑顔の女の子の姿。
それを近くで見ていた母が、
「その曲、本当は悲しい曲なんじゃないかな」
と言いました。
私にとっては衝撃でした。
「え、何で?」
聞き返す私に、母は歌詞の一部である
“悲しみのない自由な空”
に注目して、言葉を続けました。
「きっと、作った人はそういう世界に行けない所にいて、だからこそ行きたい気持ちを歌ったんじゃない?」
当時の私は母の言うことが理解できず、
“悲しみのない世界=楽しい世界
翼があれば楽しい世界に行ける!”
としか捉えることができませんでした。
また、2番に出てくる“富”や“名誉”の意味も、よく分からずに歌っていたのを覚えています。
大人になって歌詞を見返すと、違う捉え方ができるようになりました。
この世には、自分ではどうしようもない悲しみ、逃れたくても逃れられない苦しみ、自分が知らない、もっとたくさんの悲しみや苦しみが溢れています。
目の前の悲しみや苦しみを抜け出し、希望に満ちた明るい世界に行けたらいいのに、と願いたくなる気持ち。
翼があったなら、という切実な思い。
暗く出口の見えない重苦しい感覚を、私も少なからず経験しています。
あの時は自分の翼が見えなくて、果たして翼を持っているのか、あるとしたら飛べるほどの大きさなのか、飛ぶどころかどこにも行けなくて、このままもがき苦しみ、朝に怯え続けるのではないいのだろうか、
そんな悪い考えが一日中消えることはなく、不安に押し潰されそうになっていました。
この曲は、決して暗いメロディで終わるのではなく、合唱曲らしい明るく爽やかな雰囲気を持っています。
だからこの曲は、翼が無いことを悲嘆しているのではなく、翼はないけれど希望を持っているよ、という前向きな気持ちを歌っているのだと、私は捉えています。
歌い出しは悩み事を打ち明けるように。
サビでは秘めていた思いを主張し、願いを解放するように。
大きく胸をひらいて、空を見上げながら歌いたくなる曲です。
私に翼があるのなら、何色でしょう。
真っ白な翼への憧れはありますが、どんな大きさや形でも、私にしかたどり着けない空があると信じています。
どうか皆さんの空が、美しいものでありますように。
2023.01.16 深夜